「高3の夏」 森村昂太2007.7.27

高3の夏は、自分にとって、とても充実したものであったと思います。
もちろんサッカーに関する事が中心でしたが、学校生活などでも色々な事で自分を成長させる事がとても多かった時期でした。

その時期は、文化祭や体育祭があり、サッカーとはまた少し違った団結力や仲間の大切さを学ぶ事ができ、学校生活最後の年に成し遂げる事ができて本当に良かったと思います。

サッカーでも本当に素晴らしい経験をしました。夏のクラブユース選手権の全国大会は、僕達3年生の進路にも関わってくるような、とても大事な大会で、その予選リーグの時に、最も苦手意識を持っていた横浜F・マリノスユースと戦う事になりました。
その大会直前に吉本や権田、金森(現明治大学)らがケガで離脱し、状況は深刻でしたが、絶対に勝ち抜くという強い気持ちを全員が持っていたため、その団結力で不安な気持ちはありませんでした。

そして、迎えた予選リーグ最終節のマリノス戦では、勝たないと決勝トーナメントに進出できない可能性が高い中、2-1で逆転勝利を収め、無事に次のステージに上がれる事になりました。しかし、大会のシステムの都合上、次の決勝トーナメント1回戦でもマリノスと戦わなければならなくなりました。
全員が気を引き締めて試合に臨みましたが、相手に3点のリードを許してしまいました。もう、ほとんど足が動かない状況となり、諦めかけた状態から3点を奪い返し、延長後半で追加点を取り、ベスト4への道を決めました。
この勝利は、チームメイト全員の今後の財産になると思うし、絶望的な状況からの逆転は、本当に感動しました。
その後、準決勝ではガンバ大阪ユースに1-2で敗れましたが、この試合も最後まで全員が諦めずに戦えたので、悔いの残らない試合になりました。

今年の夏も精一杯練習して、自分を磨き、試合に出場できればと思います。
そして、今年の夏のクラブユースを戦うFC東京U-18の後輩達も、悔いの残らないように、全力で頑張ってほしいと思います。

「たくさんの恩師がいて今の僕がある」 吉本一謙2007.7.21

僕が、通っていた幼稚園には芝生のグランドがあり、そこで週に2回サッカーを習っていました。
芝生の上でスライディングをするのが大好きで、ボールが転がってくると意味もなくスライディングをしていました。
サッカーを好きになったのは、芝生で遊べたからであって、僕の最初の恩師は、芝生のグランドかもしれません・・・

その後、サッカーを習っていた「JACPA」というサッカー教室の選抜チームに入り、全国大会を目指したのですが、都大会の準々決勝で僕が、5人目のキッカーとしてPKを外し、全国大会への夢は絶たれました。
その時はショックで、何も考えられなかったのですが、当時の監督やコーチが家に来てくれて一緒に泣いてくれ、共に悔し涙を流してくれた思い出があります。この熱い監督やコーチが小学校時代の恩師といえます。

FC東京のU-15に入ってからは、長島さん(現FC東京育成部)や本吉さん(現FC東京U-18コーチ)、右田さん(現FC東京U-15深川監督)、丸山さん(現ヴェルディジュニアユースコーチ)から大人のサッカーを教わりました。丸山さんは、僕がU-15に入って初めて教わったコーチで、技術的な事はもちろんの事、サッカーでの大事な駆け引きの部分や楽しさ、それからサッカー以外の事もたくさん教えてくれて、何でも相談できるお兄さんのような存在でした。

高校生になってからは、U-18とトップチームの両方で活動していたので、両チームの素晴らしい監督やコーチと出会える事ができ、その分、他の選手以上に良い経験をたくさん積む事ができました。

僕は、小さい頃から、サッカーを通じて心から恩師と呼べる素敵な指導者の方々と出会う事ができました。この方々の誰か1人でも欠けていたら、僕はプロサッカー選手に、なれていなかったと思います。
皆さんに恩返しするためにも、早くトップチームで試合に出場して活躍し、安心してもらえるように頑張っていきたいと思います。

「恩師との出会い」 小山泰志2007.7.10

僕はこれまでに、山梨・千葉・東京と場所を移してサッカーを続けてきています。その度に、毎回新鮮な気持ちで新たな監督やコーチに出会い、指導をして頂きました。この出会いがあってこそ、今の自分が在ると思います。

そして、僕が技術的に一番伸びたと思う時期は、間違いなく中学生時代です。チームの監督は、みんなから「皆川さん」と呼ばれとても負けず嫌いな監督でした。チームの名前は「フォルトゥナSC(山梨県)」といって、ドイツ語で「幸運」を意味するチームです。あいさつも、ドイツ式に握手をして挨拶をする決まりでした。僕は、そんなフォルトゥナSCがサッカーを楽しませてくれ、さらにみんな良い人達ばかりで大好きなチームでした。練習は、1対1などの対人系が多く、とても人に強い選手になれたと思います。そして、フォルトナゥナSCでサッカーをしていたお陰で、当たりに強く、全体的にまとまった選手になれたと思っています。

その後、僕が入学した市立船橋高校では、石渡監督に人間的に成長させてもらったと思います。人に対する礼儀や仲間に対する思いやりの心を学びました。
練習では、フォルトゥナSCと同じように、対人プレーの練習が多く、とてもきつい厳しい練習が多かったです。中学生の頃にプラスしてさらに、人に強い選手になれたと思っています。

中学時代、高校時代と素晴らしい指導者の皆さんから指導を受け、そうした対人プレーを重ねたからこそ、人に強い選手になり、プロサッカー選手になれたと思っています。

僕の売りである人への強さをこれからも伸ばしていき、まだまだ練習をしなければならない所は、しっかりと練習して良い選手になりたいと思います。今は、居残り練習に付き合ってくれている三浦文丈コーチの言う事をしっかりと聞き自分を向上させていきたいと思います。

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