2021.1.24 【中村帆高】2020シーズンの振り返り |
2021.1.13 【安部柊斗】プロ1年目のシーズンを振り返って |
2020.11.20 【紺野和也】ここまでのプロ生活と最近のこと |
2020.9.08 【野澤大志ブランドン】はじめて書かせていただきます。 |
2020.8.20 【バングーナガンデ佳史扶】僕と兄 |
2020.3.26 【木村誠二】今の過ごし方 |
2019.10.24 【中村帆高】自己紹介 |
2019.10.16 【紺野和也】よろしくお願いします! |
2019.10.09 【安部柊斗】初めての若き青赤戦士の日記! |
2019.9.20 【中村拓海】休日の過ごし方 |
2019.5.31 【渡辺剛】J1デビュー戦 |
2019.4.17 【中村拓海】みなさんはじめまして! |
2019.4.11 【渡辺剛】東京への想い |
2018.12.25 【矢島輝一】振り返り |
2018.12.21 【平川怜】ブラジルより |
2018.12.18 【原大智】2018シーズンを振り返って |
2018.11.29 【平川怜】2018シーズン |
2018.11.13 【品田愛斗】尊敬する先輩 |
2018.11.01 【矢島輝一】言葉 |
2018.10.18 【原大智】インドネシアより |
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もしもサッカー選手じゃなかったらと考えた時に、2つ思いつく事がある。
まず、1つ目は少年の頃、僕は弁護士に憧れていた。特に「アメリカ」の弁護士に!アメリカは陪審員制で、弁護士の話術や頭の良さが凄く大切だと、とある映画で感じた。
その映画では、弁護士と検事のやりとりの時間がほとんどだった。そのやりとりは激論を交わしあい、しゃべりに迫力があって、人前で饒舌にしゃべるのが苦手な僕には、こんな風にしゃべる事ができたらなと思うものだった。
弁護士のように人前でうまくしゃべれる事はなかなか難しいとは思うが、これから先、もっともっと人前でしゃべれるようになりたいと思う。
そして2つ目は、最近歌手に憧れるようになっている。
きっかけは、「ゆず」のライブDVDを観た事から始まった。そこには、歌手2人と何万人もの観客が1つの歌で物凄く一体感を感じられた事だ。歌で人を感動させられ、こんなにも人を惹きつける事ができるなんて、とても羨ましく感じた。
という事を考えながらも、自分が音痴だったと現実に戻る・・・
だから、弁護士・歌手の夢は子供ができた時に、彼らに夢をたくそうと思う。生まれてくる自分の子供が、そうなりたいと思ってくれると良いのだが・・・現実問題、今の僕にはサッカー選手以外続けていけるものなんてない。
何よりサッカーが大好きだから!サッカー選手が自分の体を活かす一番の居場所だし、居心地の良い場所だ。芝生のにおい、そして大歓声の味の素スタジアム。FC東京のファンの皆さんを熱狂させられるように、そして子供達が憧れてくれるような存在になれるように全力で頑張ります。
この日記をご覧の皆さんは子供の頃、憧れていたもの、そして現在、もしも自分が○○だったら?と想像する事はありますか?皆さんがどのようなものに憧れていたか、とても興味があります。練習場などで、ぜひ教えて下さいね!
サッカーを始めてから色々な人に出会い、お世話になってきました。
その中でも、中学1年生から高校2年生までの大事な時期に教わっていた浅野GKコーチには特にお世話になりました。
小学校の時は、体の大きさで色々な選抜チームに入った僕にゴールキーパーとしての技術や心構えや楽しさを教えてくれました。
僕が勘違いしている時は、代表に入ってからも必ず厳しく注意してくれて、人間的にも成長させてくれたと思います。
そういう面でも、特に印象に残っているのは中学3年生の夏のクラブユース全国大会の準々決勝の次の日の事です。
その準々決勝は、僕のミスで2点を失い、PK戦になり、ギリギリで勝つ事ができました。そのPK戦の前に、僕は試合での自分のミスで落ち込み、平常心を失ったままPK戦に挑みました。「代表に入り続けていたいなら、そんな事じゃダメだ!」その言葉を浅野GKコーチに、言われた時の事は今でも覚えています。
本当に悔しくて、でもそれが事実で・・・しかし、その言葉のおかげで精神的に強くなれた気がします。
ここまで、僕の事を考えて指導してくれるコーチは、なかなかいないと思います。
だから、どんなに厳しい事を言われても、サッカーが嫌にならなかったし、常に向上心を持っていられたのだと思います。
もし、FC東京U-15に入っていなかったら、代表チームにも当然入れてはいなかっただろうし、プロサッカー選手には、絶対になれなかったと思っています。
僕も将来、引退した際には、浅野GKコーチのように、熱く心から親身になってくれる指導者になりたいです。
今、僕はサッカーが大好きです。その気持ちは、サッカーと出会ってから今まで色々な事があったけれど、変わっていないと思います。
そう思える事には理由があります。僕の小学校時代のサッカーチーム「大和サンデーズ(東京都東大和市)」の一員であったからこそだと思います。
僕が小学校5年生の時でした。友人の誘いをきっかけに練習を見学してチームの雰囲気を見て、このチームでサッカーがしたいと感じました。そこで出会ったのが、後藤監督でした。後藤監督は、いつも仕事の帰りに僕達にサッカーを教えてくれて、毎日ボールが見えなくなるまで練習をしていました。
それが毎日本当に楽しくて仕方なく、僕はサッカーが大好きになりました。
そんな後藤監督が先月に事故で亡くなりました。信じられなかったし、とても残念で悲しいです。監督には、文章で表す事ができないほど感謝しております。
どんな技術よりも、どんな戦術よりも大切で素晴らしい事を教えて頂きました。
それはきっと仲間のみんなにも伝わっています。23歳でも、あの頃と同じ気持ちでいられるのは、当時の仲間のおかげであり、大和サンデーズのおかげであり、そして後藤監督に出会えたからです。
もうあの時のような時間が戻ってこないと思うとつらいけれど、受けとめて・・・みんなで先に進みます。雲の上からみんなを見ていて下さい。心からご冥福をお祈りします。
本当にありがとうございました。