MATSUと待つ
これは毎日、お酒を呑んできた(いや、正確には呑まれてきた、だ)愚鈍なフリーライターが描くワインと、転がるボールの話だ。その前に、これだけは言っておきたい。このリレーコラムが更新される度に後出しジャンケンを試みた自分の浅はかさを恨み、「諸先輩方、もう少し余白を残しておいてくれよ」と、頭を抱えてしまったことを。
ただ、そんな数日を過ごし、気づいたことがある。残念ながら僕はサッカーを複雑に考えたことなどなく(考えられないの間違いか)、そもそもそんな聡明さなど持ち合わせていないということも。なので、今回は箸休めの回と思って、気楽に読み進めてほしい。決して、ハードルを下げているわけではありません。
ちょっと言い訳がましく始まる大好きなお酒と、フットボールをつなぐ少し素敵なお話―実際は酔っ払いの与太話なのだが―。『MATSU』というスペイン北西部の『トロ(雄牛の意)』という産地で造られたワインを初めて口にしたのは10年以上前だったと思う。味はもちろん、そのユニークな名前と、印象的なエチケットや、エピソードも僕にはズバッと刺さった。
まず、名前の由来だが、「マツは日本語で“待つ”ことを意味し、何世紀にもわたってブドウ園での作業に努力、敬意、犠牲を捧げてきた、すべてのワイン生産者に敬意を表している」のだという。
エチケットのデザインでは、ブドウ園を舞台にした3世代にわたる旅を表現している。赤ワインは「El Pícaro(ガキ大将)」「El Recio(働き盛り)」「El Viejo(長老)」の3部作で、それぞれの世代の男性が描かれている。(「La Jefa」という女性が描かれた白ワインもあるみたいだけど、残念ながら僕はまだ出会えていない)。ワインの本質、年齢やライフステージに応じた土地との向き合い方を象徴し、エチケットに描かれた彼らはこの地域のブドウ園に人生を捧げてきた何百人もの男性と女性をオマージュしているというのだ。
また、3部作のそれぞれで熟成期間も異なる。『ガキ大将』で5カ月、『働き盛り』は14カ月、『長老』はなんと18カ月間樽で熟成される。さらに、使用されるブドウの樹齢年数も右肩上がりで、長老には樹齢100年以上の『ティンタ・デ・トロ(テンプラニーニョの別名)』100%が使われる。この一本のワインを造るために実に100年以上の時間が掛けられていることになる。つまり、彼らは急いでなどいない。おいしいワインを造るためには“待つ”のだ、丁寧な仕事に“期待”を込めて――。
ずいぶんと前口上が長くなってしまった。お察しのいい人は、何が言いたいかはおわかりだろう。ようやく本題に入るが、そういえば同じことを言っている人が今シーズンから監督となったクラブがある。しかも、どうやら大のワイン好きらしい。それがFC東京のアルベル プッチ オルトネダ監督その人だ。その新監督は就任当初から何度も同じ言葉を口にしてきた。
「時間を掛けて日々努力を重ねていくしか方法はない。選手を説得、納得させることが重要になってくる。選手が信じてくれれば、日々努力を重ねることは難しいことではありません。何度も言ってきているが、シーズンの数カ月は苦しむことは間違いない。ただ、質の高い選手はそろっているので、忍耐強く努力を重ねれば間違いなくいい方向に進むと思います」
今年のサッカーは『MATSU』3部作で例えるならさしずめ『ガキ大将』といったところだろうか。また、尊敬すべき大先輩がインタビュアーを務めた、監督就任前の取材音源には目指すべき攻防一体のサッカーがこう記されていた。
「私の国ではそれを『全員で一緒に旅をしろ』と表現します」
この2つのフレーズを聞くと、ますます『MATSU』に込められた思いとの親和性を感じませんか?
そして、多くの人が開幕戦を見てお気づきだと思うが、アルベル監督がプレシーズン中に求めてきたことは驚くほどシンプルだった。相手を見ながら正しい距離で立ち位置を取り、奥行きと幅を使って攻撃を仕掛ける。基本は外回りを通して相手を敵陣に押し込むのが狙いで、当てて、落としてを繰り返しながら前向きのいい状態の選手にテンポ良くボールを届けていく。ボールを握った状態が攻守における理想で、奪われたボールは即時奪回を目指す。決して難解ではなく、そうしたシンプルなプレーを速く正確に繰り返す。そうした点は、このリレーコラム企画でも語られているし、開幕戦でも実際にいくつか良い場面をつくれていた。
アルベル監督は「シンプルにプレーすることが難しいのがサッカーだ」と言い、こう言葉を足す。
「私が特別なサッカーを表現しようとしているかと言えば、決してそうではない。ヨーロッパの高いレベルの試合を見れば、ほぼ同じような展開、同じようなプレーを目指しているチームは多い。そういう意味でもモダンで、現代的なサッカーをここ日本で表現したいというのが私の願いです」
開幕戦であえて触れる余地があるとすれば、プレスを回避したミドルパスの使い方だろう。象徴的なのは67分と77分の場面だ。1つ目はエンリケ トレヴィザンが浮き球をディエゴ オリヴェイラに通し、そこを起点に右サイドへと大きく展開したシーンだ。2つ目は自陣でボールを回しながら青木拓也が小川諒也にボールを浮かして通し、そこから決定機をつくった。いずれも選手たちが適切な距離を保ち、かつ目先を変えたトレヴィザンと青木の好判断で川崎のプレスを回避したパスだった。その後もボールの動きに合わせて選手がポジションを取り直したことで、テンポ良くボールもつながっている。
<67分のプレー>
<77分のシーン>
これらのプレーで思い出したのが、スペイン2部のサバデルに在籍した当時の田邉草民(現アビスパ福岡)から聞いた話だ。
「ボールを持っても、周りの味方が日本のように近くでパスを受けるサポートをしてくれない。そういうイメージは、スペインに行くまで、まったくなかった。相手の背後に隠れていても『ここにパスを通せて当たり前』みたいな感じで全然優しくない。日本のように周りがパスを引き出すという感じではない。かといって止まったままではなく、すごく動いてはいるんです。一つ一つのポジショニングはボールを持っている選手を助けるというよりも、あくまでも自分が受けたいと思えるエリアへと動いていくんです」
今のチームに当てはめれば、ものすごく合点がいく話だ。これから判断スピードと技術力が上がれば、上がるほど、こうしたボールの動かし方も増えてくるかもしれない。さて、ちょっと本業らしいこともしたところでこの原稿はこう締めたい。
まだ、旅は始まったばかり。抜栓したワインは、気長に待たなければいけないときがある。フットボールを肴に、最高のお酒が呑めることに“期待”を込めて。
Text by 馬場康平(フリーライター)