いよいよ4月29日(金・祝)に、東京が新国立競技場で初のJリーグを戦う。
改修前の国立では、Jリーグ加盟初年度から多くの公式戦を戦ってきた。思い出に残るスーパープレーもあれば、インパクトのあるイベントもあった。悲願のタイトル獲得以降、東京がすべてのタイトルを国立で獲得していることは、東京と国立の深い縁を象徴している。
俺たちの国立。
This is TOKYO.
新しい一歩を国立で刻む前に、これまでの国立に残してきた足跡、思い出を当時の写真とともに振り返る。
2003年 銀河系軍団との出会い
【試合情報】
サントリードリームマッチ
FC東京 0-3 レアル・マドリード
2002年ワールドカップの次はレアル・マドリードだ──。
そんなサッカー業界の観測にたがわず「エル・ブランコ(スペイン語で「白」。レアル・マドリードの愛称)」は日本で一大ブームになっていた。衛星放送で海外サッカーが頻繁に流れるようになったことでコア層から人気が上昇した面もあるが、前年度のワールドカップまでにデイヴィッド ベッカムが国民的な人気を博すなど一般層に親しまれたこともブームの一因だろう。
そんな世界的な人気クラブとの一戦で、FC東京はなんとSOCIO向けにチケットを確保。年間チケット購入者は確実に入手困難なチケットを手に入れ、我らがホームの国立競技場へと馳せ参じた。
場内の雰囲気も世間の報道も“あちらさん寄り”のなか、そしてあいにくの雨天ではあったが、ピッチ内の青赤戦士が奮い立った。
スタメンは土肥洋一、加地亮、茂庭照幸、藤山竜仁、金沢浄、三浦文丈、宮沢正史、戸田光洋、ケリー、馬場憂太、阿部吉朗。
一方のレアル・マドリードはロナウド、ラウール、フィーゴ、カシージャスがベンチスタート、ジダンが欠場という状況だったが、ベッカム、マケレレ、ロベルト カルロスらが先発して銀河系軍団の呼称に恥じぬ顔ぶれで試合に臨んだ。
前半は重苦しい雰囲気のなか、東京が健闘。前半10分、ケリーが放ったループシュートには決定的な匂いがあったがこれは枠内に飛ばず。優勢の時間帯に得点を挙げられなかったことが響き、1ボランチから2ボランチに変えて安定したレアル・マドリードに主導権を握られた。
そして前半37分、東京のファン・サポーター以外のお目当てであったろうベッカムにフリーキックを直接決められると万事休す。その後も2点を許し、悔しい敗戦となった。
AFCチャンピオンズリーグとFIFAクラブワールドカップがそれぞれ地域世界のクラブ選手権大会として確立されて、かつ過密スケジュールとなっている現在では、ヨーロッパのビッグクラブによるこの種のアジアツアー的なプレシーズンマッチに遭遇する機会はほとんどなくなっているが、それでもこの当時に世界の頂を一瞬だけでも体験した意義は大きかった。
アジアを、世界をめざしより高みへと昇り詰めようとする東京の原点と言ってもいい、特別な一夜だった。
Text by 後藤勝(フリーランスライター)