アルベルトーキョーの進化を楽しむ【戦術編】
〜私がFC東京を見たくなるたった一つの理由〜
ポジショナルプレーがわからない!
信頼という仮説
「世界で最も偉大な監督の一人、ユルゲン クロップ監督がいま、リバプールFCを率いて何年目かご存じですか?」
そう問いかけるアルベル プッチ オルトネダ監督は何を言いたいのかというと、クロップ監督ですらチームを作り上げるのに時間が必要で、だから「まあ、待ってて」なのです。待たせたあとに、自信あり。
そんなFC東京をいまこそ見たくなる理由……山ほどありますが、私にとっては結局はひとつに集約できます。ゴール。
ところで、この「FANZONE」では、すでに掲載されたコラムにリスペクトを示す素晴らしい文化が生まれているようで、私も馬場康平さんの「中盤3選手の証言で紐解くアルベル流ポジショナルプレー」が心に残りました。映画から引用した、こんなセリフが記されていました。
「戦術とは優れた配置から生まれる」
配置が戦術を生むのだとしたら、私たち観戦者側の物理的、概念的な立ち位置も、理解という勝利へたどり着く戦術を提示してくれるのではないか。
その手助けになる(あるいはまったくならないことで、逆にある種の指標を提示できる)文章になればと考えながら書くことにします。
さて、私には「ポジショナルプレー」がわかりません。わかりかけたと思ったそばから、また新しい要素が加わって変容していくように感じるからです。
わからないことは学びの種でもあり、そもそも天邪鬼な性格なので、ポジショナルプレーに限らず、「自分は理解している」とわざわざ言ってきてくれる人を信用するかどうか決めるのに、うんと時間をかけます。世の中は往々にして、わかっていると言った人、声の大きな人ほどもてはやされる傾向にありますが、私はわからないことをわからないとする「無知の知」のほうに信頼を置くようです(ややこしくて損な性格かもしれませんが)。
ところでこの「信頼」って、チームスポーツであるサッカーにとても大切なものですよね。信頼できるから、大切なボールを託せるわけで。ポジショナルプレーというものは、そうではないスタイルに比べると信頼がより大きな意味を持つのではないか。そんな仮説が思い浮かんでいます。
適切なときに適切な場所に存在していることがポジショナルプレーの大前提だとするならば、「適切」の基準があいまいでは成立しません。それが信頼なのではないか、というのが仮説の中身。できるだけ信頼度が高いタイミングでできるだけ信頼度が高い場所に立てば、仲間からボールを送ってもらうことができる。その繰り返しでボールが循環して、前に進んでいく。
そう思いながら、J1リーグ第12節のサガン鳥栖戦を取材しました。0-1で敗れたあと、ゴールが決まらなかったことを問われて、中村帆高がこんなことを言っています。
「ポジショナルプレーではボールを保持することが大切になりますけど、ポジショナルプレーのためのポジショナルプレーではなくて、点を取るためのボール保持でなければいけない。そのためには、どこかでリスクを取る攻めのプレーをしていかなければ、相手も嫌ではないと思うんです。そこはいま、自分たちがぶち当たっている壁だと思います」
リスクを取って成功を手にするためには、信頼がなければ行動に移すことはできません。そうでなければ、その選択は無謀なギャンブルでしかない。ゴールという目的のためのポジショナルプレーはリスクも包含しているから、その根底にあるべきなのが「信頼」だと考えるのです。
誰がどこにいてもいい
鳥栖戦の前半28分に好例がありました。
FC東京が押し込んだあとの相手のクリアを、中村が中央に潜り込んでいた松木玖生に迷いなくワンタッチで縦パスを差し込みます。しっかり収めてから、左斜め後ろにいたレアンドロと縦のワンツーを決めてシュート。これは相手にブロックされるのですが、ゴールに向かう意図が重なり合ったシーンです。
<J1リーグ第12節 サガン鳥栖戦 前半28分のシーン>
このシーンから私なりにポイントをじっくりドリップするとしたら、
・相手ミスを逃さなかった中村の「即時奪回」の意識
・ワンタッチで前に送り込んだ中村の「勝負の縦パス」のスピード感
・相手に寄せられながらボールを止めた松木の「確かな技術」
・狭い中央のスペースでワンツーを実現させたレアンドロの「ポジショニング」
・レアンドロを信じてワンツーを仕掛けた松木の「崩しのアイディア」
・狭いコースを通したレアンドロの「パスの技術」
・左インサイドハーフの松木と左ウイングのレアンドロが右寄りと中央に立って崩しにかかった、ポジションの概念にとらわれない「正しいときに正しい場所にいるポジショナルプレー」
ゴールを奪うために、正しいときに正しい場所に立ってボールを前進させ、正しいときに正しい場所に立って相手を崩し、もし奪われても、正しいときに正しい場所に立っていれば奪い返すことができて、また攻める。
誰がどこにいてもいいのです。言い換えれば、誰かが必ずどこか正しい場所にいなければならないのです。
ゴールという目的を達成するための、いわば「厳選ギア」として、トライアングルと前向きの選手で無数に作るダイヤモンド型のポジショニングがあったり、それを効率的に行うための5レーン理論があったり、相手の配置を見ながら場所を選択する「目」があると思うのです。
でも中村が問いかけた言葉は、その「道具」の方にばかり目がいってしまって、目的と手段を取り間違えないようにしなければならない、という大切なメッセージに聞こえました。
というわけで、私には永遠にポジショナルプレーはわからないかもしれません。でも、それならそれでいいと思っています。いつかわかるようになろうと、永遠に前を向いて進もうとする気持ちがあるからです。
必要最低限の「整理整頓」と、その裏に隠されたアドリブをしかけ合う、贅沢な愉悦を探し続ける旅、のようなもの。ピッチの上でも、スタンドからでも、その前向きな姿勢を後押ししてくれることこそ、ポジショナルプレーの真髄なのかもしれません。
Text by 平澤大輔(サッカーマガジンWeb)