太田宏介との邂逅
これは優しさの連鎖が生んだストーリーだ。東京の数あるエピソードの中でも、僕の心のベストテンの一つと呼んでいい。まもなくポルトガルへと旅立つ小川諒也が、青赤に残したほっこりする左サイドバックにまつわる素敵な話にちょっとだけお付き合いしてほしい。
諒也は2015シーズンに流通経大柏高校からプロの世界に入った。その当時を振り返り、「高校サッカーで持ち上げられて勘違いもあった」という。
「だから、(太田)宏介君に勝てるとは思わなかったけど、サブに入ったり、たまに試合に出られるぐらいには思っていた」
だが、その淡い期待は脆く崩れた。年間を通して公式戦の出場機会は一度も訪れることはなく、「相当、落ち込んだけど、何よりも自分でもレベルの差が分かった。宏介君との差を体感して、これはいろいろやらなきゃいけないことがあると思った」。気づけば自然と練習中から宏介のプレーを目で追うようになり、いつも後ろをついて回るようになった。さらに、気になることは何でも質問した。
「とにかく宏介君の真似をした。同じ左利きで、似たような特長を持っていたから。練習でもよく見ていたし、練習が終わった後のクロス練習も一緒にやった。宏介君が優しいというのもあった。上の人が『何でお前に教えなきゃいけないの?』って感じだったら正直キツかったって思う」
このときの諒也のことをどう思っていたのか――。宏介は、こう言葉にする。
「端から見たら同じポジションで、ライバルになり得る存在と仲良くすることはおかしいと思うかもしれない。でも、自分も若いころから優しい先輩に恵まれ、ノビノビやらせてもらった過去がある。横浜FCの時も清水エスパルスの時も、名前を挙げればキリがないほどそうそうたるメンバーがいた。そういう先輩にくっついていろんなことを吸収して成長できた。それがあったから、ライバルとか関係なく、それまでの経験を伝えたかったし、どの選手ともいい付き合いをしたいと強く思ってきた。あいつの同世代に甘えられない性格で、先輩の懐に入るところがどこか自分に似ていた。そういうかわいさもあったのかな」
そして、諒也にもチャンスが巡ってくる。プロ2年目で宏介がオランダ1部のフィテッセに移籍し、定位置を争う駒野友一の負傷も重なってAFCチャンピオンズリーグで初出場を果たす。リーグ戦でも出場機会を増やしたが、本人に手応えはなかった。
「ついていくのに必死だった。とにかくミスしないようにとか、パスの流れを崩さないようにとか。いつもギリギリだったし、誤魔化しながらやっていた。とにかく分からないから走ってますみたいな勢いでやっていた部分もあった。今考えたらニュウさん(羽生直剛)や、ほかの先輩がカバーしてくれて自分がやりやすいように立ち回ってくれていたのだと思う」
翌年、宏介がオランダから東京に復帰すると、再びベンチに追いやられる。それでも、「2年目は宏介君がいたら出場できていなかった」と自分に言い聞かせ、プロ1年目のときのように再び背中を追い続けた。
この頃、宏介も追いかけてくる諒也の足音が少し大きくなったことを実感したという。
「オランダから帰ってきたとき、諒也も自分のプレースタイルを確立して自信を持ってプレーできるようになっていた。あいつが試合に出ているのを見て、プレースタイルや、コーナーキックを蹴る前の角度とかが自分に見えた。それがうれしかったんだよね」
ただし、ライバルと認識しても諒也が1年目のころと変わらず、2人でやる居残りのクロス練習は続いた。プライベートでもよく食事に出かけたという。2人は一番のライバルであり、よき先輩後輩であり続けた。
『6』の系譜
転機となったのは、プロ4年目だった。諒也はここから年を追うごとに、出場機会を増やしていく。
「自信がついたのは4年目。宏介君が帰ってきた直後は差があると感じていた。宏介君がいても、それでも試合に出られるようになったのは自信になった。宏介君がいない中で試合に出るのとでは意味が違った」
諒也の活躍は、宏介にとって出場機会が右肩下がりになっていくことを意味した。それでも、宏介は言う。
「SNSで一緒にいる画像をアップすると、ファンやサポーターから『ポジションを奪われて悔しくないの?』と言われたり、書かれたりもした。同じポジションである前に、オレは小川諒也という人間が好きだった。プライベートでも過ごす時間が多かったから。自分がベンチの時は悔しい思いもあった。でも、諒也に対して悪いプレーをしろとか、ミスしろなんて全く思わなかった。切磋琢磨しあえる関係を続けたかったし、いろんな経験を伝えることで自分も成長できると思っていた。本当にシンプルに良い関係だったと思う。二人でサッカーの熱い話もしてきたし、お互いがリスペクトし合って高め合えたと思っている」
二人の関係は、2019シーズンの夏に宏介が東京を去った今も続いている。諒也は尊敬する選手の欄には毎回『太田宏介』と書き記し、感謝と、リスペクトの思いを持ち続けてきた。
「どんなときも接し方が変わらなかった。それはうれしかったし、ありがたかった。だから、オレもフランクに絡めた。宏介君の器のデカさだと思う」
2020シーズンからは宏介が背負った6番を引き継いだ。「絶対につけたかったというわけじゃない。でも、空き番号になって他の人がつけるとなったら、それがすごく嫌だった。だから6番をつけたいって自分から言った」。この話はここで終わらなかった、というか諒也が終わらせなかった。引き継いだのは6番だけじゃなかった。面倒見のいい宏介が去った後、率先して後輩たちを可愛がったのが他ならぬ諒也だった。
「一番下だったから、いつも食事に連れて行ってもらった。オレは十分すぎるぐらい先輩たちに可愛がってもらった。それを自分もつなげていきたいと思った。そもそも後輩に壁なんてつくりたくもない。オレ自身は先輩が壁をつくっていたかもしれないけど、それを気づかずに飛び越えていたのかもしれないしね。自分が馴れ馴れしく先輩にいくのに、後輩には壁をつくって厳しいですなんてヤバイでしょ(苦笑)」
そう言ってFC東京U-18から昇格してきた左SBのバングーナガンデ佳史扶を相手に、二人で居残り練習を始め、質問には何でも答えた。かつて自分がそうしてもらったように。
初めは遠慮がちだったという佳史扶も、諒也の優しさに触れるようになって変わっていった。「僕にないものをメチャクチャ持っているので、聞かないともったいないなと思ってしまう。最初は、遠慮していたんですが、初めてトップチームに練習参加したときから宏介さんも、諒也君もフレンドリーに話し掛けてくれた。だから、積極的に話し掛けることができるようになった。本当に2人のおかげだと思っています」。
佳史扶と二人で切磋琢磨し合い、諒也は2021年3月に日本代表に初選出される。それを聞いて自分のことのように喜んだのが宏介だった。
「背番号の時も、代表に入った時も連絡が来て、めちゃくちゃうれしかったよ。6番を着けて代表に入るとも言っていたし、それを有言実行してすごいなって思う。あと、佳史扶に優しくしてるって照れくさそうにしゃべっていた。サッカー選手は、なんだかんだ個人の世界だけど、お互いが認め合ってライバルだから話さないとか、年下には何も教えないなんて面白くない。諒也にもそうやって思ってもらえたことはうれしいよ」
いるべき場所
そして、旅支度を整え、諒也は世界へと飛び出す覚悟を決めた。夢への扉を開くためだ。
「子どものころに、サッカーの試合と言えば、代表戦だった。だから、サッカー選手になりたいという夢を思い描いたときにイメージするのはいつも日本代表選手だった。FC東京に入ることが決まったときもめちゃくちゃうれしかった。でも、イメージしていたモノとは少し違っていた。日本代表に初めて選ばれた時に、夢が叶ったと思えた。韓国戦でピッチに立ったときに、今この瞬間がイメージしていた選手になれたという実感があった。日本代表の中心でも海外でもバリバリやっている選手たちに憧れたし、そうなりたいと思ってきたから」
その直前の6月中旬に、宏介と諒也は再会を果たす。ひさしぶりに食事に出かけ、膝をつき合わせた後輩が少し頼もしく映った。
「とにかく頑張れよと言うと、照れ隠しで『やってやるよ』って言っていたかな。クロスの練習も続けてきただろうし、諒也ならもっと攻撃的にいけると思う。チーム事情もあって守備のイメージが強くなったけど、もともとはオーバーラップしてクロスを上げまくりたいとずっと言っていた。ポルトガルではもっと攻撃的なサイドバックになれよって伝えたよ。だって、あいつならもっとできるから」
諒也には、こんなことを聞いた。「佳史扶に6番をつけてほしい?」。その答えが、優しい彼らしかった。
「押し付けがましいのは嫌かな。でも、佳史扶がつけたいと思ってくれたらうれしいかな」
きっと諒也がこのクラブに残した思いやりや、優しさは次の世代へとつながり、受け継がれていくはずだ。
さらば東京、ならば問う今日――。門出の時を迎え、何を思う?
惜別の情を込めて別れの挨拶をなんて似合わない。ここには、ちょっと生意気で、ギラギラしていたプロになりたてのころの小川諒也がいた。
「オレが入ってきた時、先輩たちもきっと戸惑っていた。東京に入ってくるいつもの後輩とは雰囲気が違うぞって。最初は生意気なやつが入ってきたってなっていたみたい。そんなオレに東京の先輩たちは優しくしてくれた。何を言っても付き合ってくれたし、全部を教えてくれた。だから、今の自分がある。本当に感謝しているし、FC東京に入ったことは間違いじゃなかった。今があるのはたくさんの先輩や、関わってくれた指導者たちがいたから。本当に人に恵まれたと思う。でも、FC東京が好きですなんて思ったことも言ったこともない。なんて言えばいいんだろう……家族に好きなんて言わないでしょ。FC東京がオレのいるべき場所になって、ずっと当たり前のようになっていたから。向こうでデッカくなってくるよ。代表ユニフォームに袖を通すのは、オレにとってぶれちゃいけない目標だから」
そうそう、1年目の頃に冗談交じりに「そのうちオレ、レアル(・マドリード)でプレーするから」と豪語していた選手がどこかにいたような気がする。ポテンシャルの高さには驚かされてきた。と同時に、彼の本気をまだ見ていない気さえする。贈る言葉があるとすれば、こうだろう。
『デッカくなってこい、心優しきGentleman Boy』
Text by 馬場康平(サッカーライター)