それは人生で最も悩んだという決断だった。地元・東京に帰還した中盤の狩人は、キャリアを懸けて絶対に成し遂げたいという目標を口にする。このクラブと共に新たな景色を見るために、小泉慶は青赤のユニフォームに袖を通した。
Q、まずはFC東京からオファーを受けた時の気持ちを教えてください。
A、オファーをいただいたときは、素直にうれしかったです。首都である東京のチームから声を掛けていただけた。僕自身も評価されてうれしいですし、自信にもなりました。ただ、今まで何度か移籍を経験していますが、正直一番悩みました。もしかしたら人生で、最も悩んだかもしれません。
Q、その決断の決め手はなんでしたか。
A、やっぱり自分自身も、タイトルを獲ったことがなかったことが決め手の一つです。FC東京もこれまでカップ戦のタイトルを獲ったことはありますが、リーグ戦のタイトルは獲ったことがない。クラブの方から世界各国の首都クラブはリーグ優勝を経験しているが、東京はリーグ優勝できていないという話を聞いて、そこにやりがいを感じました。ここで自分が入ってタイトルを獲ることになれば、FC東京の歴史に名を刻み込めるかもしれないと考えました。僕自身も引退するまでにリーグ優勝をしたいという思いは強いです。あとは、サガン鳥栖で去年プレーしていた山下敬大選手と、鹿島アントラーズ時代のレアンドロ選手ぐらいしか知っている選手がいなかったことも大きな理由です。出身は東京の足立区ですが、土地勘もそれほどありません。いまが選手としても一番いい年齢で、自分が知らない場所で挑戦するのはラストチャンスだと思いました。その2つが、今回の移籍を決断した理由でした。
Q、相談した方はいましたか。
A、チームメイトにはなかなか言えませんでしたが、鹿島時代のチームメイトで名古屋グランパスの永木亮太選手にはいろいろ相談させて頂きました。
Q、足立区出身ですが、これまでFC東京との関わりはありましたか。
A、高校3年生のときに練習参加をさせていただいた経験があります。練習と、練習試合は出させてもらったのですが、そのときはオファーを勝ち取ることはできず、僕はそのままアルビレックス新潟に行きました。出身は東京で、育ちも東京だったのですが、これまではなかなか接点がありませんでした。ですが、今回はいいタイミングでご縁があったのかなと思います。
Q、外から見てきたFC東京の印象を教えてください。
A、代表経験のあるいい選手が数多くいるという印象があります。また、2022シーズンはクラブとしてアルベル監督に代わり、MIXIグループになってさまざまなチャレンジをしている年なのだと思っていました。
Q、味の素スタジアムにはどんな印象を持っていますか。
A、サッカー専用ではないですが、大きくていいスタジアムだという印象があります。アウェイの選手にとってもやりがいのある場所でしたし、得点を入れられたときの盛り上がり方には圧力も感じました。そこがこれからホームになるのは、まだ不思議な感じですが、始まってみていろいろ感じていきたいと思います。
Q、サッカースタイルにはどのような印象がありますか。
A、監督が代わってボールを大事にするところは、外から見ていても感じました。ただし、ボールを握るだけでなく、プレーの強度も大切にしているのだと思っています。戦っていても、選手の中からそういった声も出ていたので。そういう部分を求めているのだと思っていました。
Q、これまでのキャリアを振り返ると、横浜F・マリノスの育成組織から流通経済大学付属柏高校へと進んでいます。その経緯を教えてください。
A、僕はユースに上がることができず、かなり悔しい思いをしました。そのときはマリノスユースを倒せるぐらいの力がある高校を探していて、家から通える中で流通経済大学付属柏高校が強かったので進学先に選びました。
Q、そこでの出会いもあったと思います。一学年下には小川諒也選手(現Vitoria Sport Clube(ポルトガル)所属)もいました。どのような関係でしたか。
A、諒也のせいで、よく坊主にさせられました(苦笑)。でも、学年は一つ下でしたが、僕らの代にも絡んできたし、試合にも出ていました。当時から身体能力も高かったです。
Q、今夏にポルトガルに渡ったので入れ替わりになりましたが、また同じチームでプレーしたかったですか。
A、そうですね。同じチームでやることができたら面白かったと思います。ただ、こればかりはタイミングもあるのでしかたがない部分もあります。彼も海外で夢を追いかけていると思うので、個人的にはそれをしっかりと応援したいと思っています。
Q、あらためて地元の東京でプレーすることについてはどう感じていますか。
A、1年半九州に住んで、こちらに帰ってきました。短い間ではありましたが、帰ってきたなという感覚はあります。やっぱり九州と東京では、同じ日本でも違いがありました。僕がアウェイゲームの時の味スタには、家族もよく応援に来てくれていたので喜んでいると思います。
Q、これから選手として一番いい年齢を迎える中で、今後どのようなキャリアを描いていますか。
A、僕はとにかくタイトルを獲りたい。自分自身のキャリアの中に一個はトロフィーがほしいと思っています。FC東京はカップ戦を獲っているけど、リーグ戦を獲ったことがないところが僕の思いと重なる部分でした。そこで一緒に獲れたらいいと思っているので、そこにこだわって決断しました。優勝すれば、また違った景色が見えると思うので、そこは常に意識していきたいと思います。
Q、キャリアを振り返ると、さまざまなポジションで起用されてきました。ここで勝負したいというポジションはありますか。
A、正直、二十代前半のときはここでやりたいというポジションがありました。ただ、鹿島時代に知り合った永木選手と一緒にプレーするようになって、その考えも変わりました。永木選手がボランチや、右サイドバック、サイドハーフでプレーする姿を見ていて、どこであってもチームが勝つためにプレーしていると感じました。託された場所でチームのために戦う姿が僕には格好良く見えたんです。僕も似たようなタイプの選手でもあったので、こういう選手になっていかないといけないと感じたし、こうなりたいと思うようになりました。あの人と出会ってからポジションへのこだわりはそこまでなくなりました。託されたときに何ができるかだと思っています。良さが出るポジションは自分でも思うところはあるし、周りからも言われることもあります。それでも、どこで出ようとも僕はチームが勝つために戦うだけだと思っています。
Q、いろんなポジションでプレーするために必要なことはどんなことでしょうか。
A、1対1や、プレーの強度では絶対に負けてはいけない。それはどのポジションでも間違いなく大事なことだと思っています。そこを落とさなければ、自然とどこでもいいパフォーマンスを出せる感覚はあります。ボランチで強度は出せても、サイドバックでは強度は出せませんとなると、難しくなると感じる時期もありました。どこで出たとしても強度を落とさなければ、自分の良さは攻撃でも守備でも出てくると今は思っています。
Q、ここだけは負けたくないというところはどんなことですか。
A、ボールを奪うところは、自分の得意なプレーだと思っています。これまでプロとして、そこで戦ってきたつもりなので、自分のところで奪えないと良さがなくなってくる。そこはこれからも大事にしていきたいと思います。
Q、このチームに入って、こんな変化を起こせるということがあったら教えてください。
A、特別に声を出したりするタイプではないので、プレーで見せていきたいと考えています。東京には若い選手もたくさんいるので、高いプレー強度を見せてこれぐらいやらないとダメだという空気にできるようにしていきたい。そこは試合だけではなく、練習からもしっかりと示していきたい。そういうところは、見せていかないといけないと思っています。
Q、それでは最後にファン・サポーターへメッセージをお願いします。
A、加入発表のコメントでも言いましたが、FC東京がタイトルを獲るために今自分が持っている最大限の力を発揮します。それをサポートしていただければうれしいです。自分は中堅と呼ばれる世代の選手です。このチームには若い選手も多いので、試合だけでなく日々の練習の中でもクラブにいい影響を及ぼせるように頑張っていきたいと思います。
Text by 馬場康平(フリーライター)