Q、FC東京U-18に所属している2018年、J3の開幕戦、アスルクラロ沼津との試合で公式戦デビューをしましたが、心境はいかがでしたか。
A、U-18のプレミアリーグに出場するより先にJ3に出場しました。公式戦をあまり戦っていない状況もあり緊張したことを覚えています。
Q、U-18に所属しながらJ3を主戦場として戦っていた時はどのような思いでしたか。
A、U-18よりレベルが高いため、J3で戦い続けることが自身のレベルアップに繋がると考えていました。
Q、レベルが高いと感じたJ3の試合で自信を持てた部分、同時に感じた課題を教えてください。
A、自信を持てたことは、1対1になった時の守備力です。空中戦も負けなかったので自信になりました。課題は、動きのスピードや判断スピードです。一緒に出場したプロ選手の判断スピードは自分と比べて早く、自分の考えは遅く、浅かったので差を凄く感じました。予測や相手選手のマークの受け渡しの声かけもまだまだです。
Q、クラブのアンケートでは、プロサッカー選手をめざし始めた時期を「J3に出た時から」と答えていますが、高校生の時はどんな目標を掲げていましたか。その目標を実現させるために取り組んでいたことは何ですか。
A、トップチームに昇格することしか考えていませんでした。身体の重さ、俊敏性、力強さが必要だと感じていました。当たり負けしてはいけないポジションであることも踏まえ、身体づくりは大事にし、意識的に筋力トレーニングに取り組んでいました。
Q、2020シーズンからトップチームに昇格しました。出場機会が得られないなかで、京都サンガF.C. 、SC相模原、モンテディオ山形に期限付き移籍をしましたが、U-15から育ってきたFC東京を離れる時はどんな気持ちでしたか。
A、片道という感覚はなく、修行に出るという気持ちでした。戻ってくることを前提として考えていました。「活躍して戻ってきてやる」という気持ちが最初はなかったと思います。今思えば覚悟が足りていなかったかもしれません。京都でずっと試合に出場してオファーをもらうほどの気持ちもなかったです。チームのためではなく、試合に出場するためだけになっていたと思います。それが京都で試合に出場できなかった理由だと感じています。
Q、移籍先で何を学びましたか。
A、気持ちや身体の浮き沈みを作らないことの重要性です。環境が変わり様々な選手とプレーをすることであったり、試合に出場できる時とできない時があることなど、メンタルがぶれる要素はいくらでもあります。自分のやるべきことをどれだけやれるかが大事だと思いました。
Q、東京を離れたことで多くの出会いがあったと思います。
A、山形は特に地域の繋がりを感じました。ファン・サポーターの距離も近く、大きい商業施設もあまりないため、街中で声をかけていただくなど、応援してもらえていることを実感できました。3つのチームに移籍しましたが、人によって考え方は違い、監督によってサッカーの色も違います。今まで自分がやってきたサッカースタイルがあっても合わせる必要がある難しさを経験しました。
Q、移籍をする前は片道だと思っていた木村選手のなかで、3つのチームでの経験が気持ちに変化を与えたのでしょうか。
A、東京から離れる期間も長くなり、所属したチームに集中することやその色に染まることを、意識的にというより勝手に行っていた感覚です。
Q、2022シーズンの途中に東京へ帰ってくることが決まった時の気持ちを教えてください。
A、エンリケ選手の怪我などのアクシデントがあって、急遽東京に復帰することになったので、このタイミングか、という気持ちはありました。試合に出場できない時期でもモチベーションを高くもって練習に取り組み、1年間を通して山形で戦うことを考えていました。ですが、山形に残るか東京に帰るか、メリットを考えて帰ることを決めた瞬間から、東京で試合に関わり勝利をすることに気持ちを切り替えました。もちろん本人の頑張りや活躍があってこそですが、アルベル監督がバングーナガンデ佳史扶選手や1年目の松木玖生選手を起用していることに対して、若手選手でも出場するチャンスがあり、試合によって選手を入れ替えてもらえる監督だと考え、自分にとってメリットだと思いました。
Q、東京に合流してからチームの雰囲気はいかがでしたか。移籍前と帰ってきた時のチームの違いはありましたか。
A、雰囲気は変わっていませんでした。和やかでありながら、引き締めるところは引き締め、軽いプレーがあれば選手同士で言い合う。これがJ1だと安心しました。
Q、合流後に特に関わった選手を教えてください。
A、佳史扶選手は同期で、前から仲が良かったので一緒にいました。中村選手や紺野選手は4つ年上ですが同期入団なので仲良くしていました。自分の移籍前から在籍している選手とメンバーがかなり入れ替わり、チームにうまく馴染めるように気にかけてくれました。特に東選手は練習中にも明るく声をかけてもらったので感謝しています。
Q、佳史扶選手はどのような魅力がある選手ですか。
A、佳史扶選手は絶対に愚痴を言いません。誰だって嫌な思いをすれば言いたくなることがあるはずなのに、彼からは出てこないです。一緒にいて気持ちが良く、悪い気持ちになることが一切ありません。そんなところが佳史扶選手の人柄で、人の良さであり、とても好きです。
Q、佳史扶選手と野澤大志ブランドン選手はアカデミーからトップチームに昇格した同期ですが、木村選手にとって二人はどんな存在ですか。
A、佳史扶選手とは、中学1年生から一緒にいるので幼なじみのような感覚です。野澤選手はU-18からですが三人でいる時間が長く、2020年のコロナ禍で外に出られなかった時期は、一緒に映画を観ていました。普段から頻繁に連絡をとっている訳ではないですが、本当に仲の良い友達という感覚で一緒にいると安心できる存在です。
Q、合流のタイミングで仲良くしてくれた選手に中村帆高選手の名前が上がりましたが、ホームページの選手プロフィールで「チームメイトで兄にするならだれ」という質問にも中村選手を挙げています。木村選手にとって4つ年上の中村選手は兄にしたいくらい頼りになる存在ですか。
A、同期入団ということもあり話しやすく、オフでもご飯に連れて行ってもらったり、一緒にいる時間が長いです。東京に帰ってきた時も移籍する前と変わらず仲良くしてくれました。中村選手自身も年が離れていることもあり「弟みたいな感じ」と言ってかわいがってくれますし、頼もしい仲の良いお兄ちゃんみたいな感じです。
Q、ホームページの選手プロフィールで「影響を受けたサッカー選手、過去対戦して最も衝撃を受けた選手」に森重真人選手を挙げていますが、木村選手にとって森重選手はどんな存在ですか。
A、僕がU-15深川に入団してチームメイト全員と初めて試合を観に行った時に、森重選手が出場していました。センターバックは派手なプレーや魅せるプレーが多いポジションではないのですが、ちょっとしたプレーで上手さを見せていました。守備の部分では、もちろん負けない、強いというプレーを見て、こんなに上手いセンターバックがいるのかと思いました。初めて観た時から10年近くずっとスタメンで出場し続け、「この人はすごい」と思えるアイドル的な存在です。
Q、森重選手は木村選手にどのような影響を与えましたか。
A、センターバックは強くて跳ね返せて守ることができれば良いと考えていましたが、森重選手を見てからは、上手さが必要だと学びました。同じポジションでなくても森重選手の凄さは誰もが分かると思いますし、あんなに良いセンターバックはいません。プレー以外の面でも自分は早くクラブハウスに来るようにしていますが、毎日それよりも早く森重選手はグランドに来て、ケアやストレッチをして練習に向けた準備をしています。練習後も筋力トレーニングやケアを十分すぎるほど行っています。年齢的なものもあるとは思いますが、練習前から練習後まですべてがサッカーのための生活になっていると思います。
Q、2023シーズンのチームの目標、個人の目標を教えてください。
A、チームはJ1リーグ優勝をみんなでめざしています。個人としては、昨シーズン出場時間が短かったのでスタメンで出場する試合を増やしたいです。
Q、自分の強みやアピールしたい点を教えてください。
A、身体能力だと思います。親から丈夫な身体をもらったので、それを自分で活かしたいと思います。高さ、スピード、パワーはあまり負けることがないので武器にしたいです。
Q、ルヴァンカップの京都サンガF.C.戦に向けて、ファン・サポーターに向けて一言お願いします。
A、シーズンが開幕してからまだ試合に絡めていません。ルヴァンカップで結果を出し、良いプレーを見せてファン・サポーターのみなさんに勝っている姿を見せたいと思います。そして、僕自身もリーグ戦に関わっていけるように頑張るので応援よろしくお願いします。