Q、中学生まで沖縄で育ち高校生の時に東京に来ました。プロサッカー選手をめざし始めた時期を15歳と答えていますが、東京に来るという覚悟を決めた要因は目標を達成するためだったのでしょうか。
A、中学生で進路を考えていた時にサッカーに打ち込みたいという思いがあり、オファーをいただいた東京のアカデミー、FC東京U-18に加入しました。東京に行く以上は高校卒業時点でプロ選手になると決断しました。
Q、東京に来ることによってどんなことが自分にプラスに働くと考えましたか。
A、J1リーグに所属するチームである東京のアカデミーでプレーできることが自分にとって財産であると考えていました。
Q、沖縄にいた頃と東京に来てからのご自身に変化はありましたか。
A、サッカー面では、隣のグラウンドでプロ選手が練習をしていたので、今までよりもプロを意識するようになりました。中学生の時より練習頻度は増え、サッカーを中心とした生活になりました。「もっとやらなければいけない」とたくさん練習した記憶があります。サッカー以外の面では、沖縄の訛りが出なくなり、東京の言葉になりました。
Q、ゴールキーパーという特に責任の重いポジションでJリーグの舞台に立つ緊張感はありましたか。
A、J3に出場していた時は、自分の頭のなかで整理がついておらず、責任感より自分のプレーのことで必死だったと思います。緊張感はいわてグルージャ盛岡でプレーをしていた昨シーズンに学びました。
Q、高校生の時にプレーで自信をもっていたこと、課題だと思っていたことを教えてください。
A、自信を持っていたことはシュートを止める、ゴールを守ることです。課題は、今思えば、ゴールキーパーとしての振る舞いだったと思います。当時はゴールキーパーがどのようなポジションなのか気づいていなかったので、身体づくりなどももっと取り組めていれば良かったです。
Q、高校時代と今の自分ではどのような変化がありますか。
A、人間性が180度くらい変わりました。プロ選手と関わる機会が増え、林彰洋選手、児玉剛選手、波多野豪選手、森下申一元ゴールキーパーコーチ(現ジュビロ磐田アカデミーGKテクニカルコーチ)にもお世話になり、挨拶や言葉遣いなどの変化がありました。自分が一番年下でチームに加わったのですが、三人の先輩ゴールキーパーは人生をかけて選手生涯を送っていることが分かり、自分もそうなりたいと思いました。キャリアの長い選手たちに対して、リスペクトのない振る舞いをすることは失礼だと思い、変わっていかなければいけないと思いました。
Q、ホームページの選手プロフィールの影響を受けた選手に林彰洋選手(現ベガルタ仙台)の名前を挙げていましたね。
A、トップチームに昇格した時に先発で試合に出場していました。ベストイレブンにも選出されており、日本で一番のゴールキーパーと一緒にいたことになります。林選手の人柄も近くで感じさせてもらいました。一緒に練習をしていて、心が燃やされる存在で、もっと上手になりたいと思えました。
Q、2021シーズンには、いわてグルージャ盛岡に期限付き移籍をし、J2リーグ昇格にも貢献しました。
A、J3で2位になり、J2リーグに昇格をしました。自分が成し遂げたとは本当に思っておらず、勝たせてもらったという感覚が大きかったです。監督が使い続けてくださったことに感謝しかないです。J2リーグに昇格した時、試合に出場するためのメンタリティや責任感が欠けていることに薄々気が付いていました。昇格したという事実で外面は良かったのかもしれませんが、次のシーズンをJ2リーグで戦うために自分と向き合う時間がたくさんありました。その期間が自分を成長させてくれて、多くのことを学びました。
Q、いわてでの経験は野澤選手にどのような影響を与えましたか。
A、昇格を成し遂げた時より、J2リーグからJ3に降格した1年間の方が自分を成長させた期間だったと思います。J3のレベルがJ1、J2と比べたら高くないことは事実であり、J3で勝てていたことからどこか居心地の良さのようなものを感じていました。J2で現実の厳しさを目の当たりにしました。いわてはこれからもっと良いチームになりたいと思う発展途上のチームなので、地域の方との関わりが非常に多く、チームメイト、スタッフ、スタジアムの方、スポンサーの方、多くの人と一つのコミュニティがあると感じていました。みなさんを代表して自分はピッチに立っているわけで、怖気づいていられないという気持ちが僕の源となりました。様々な方に応援していただき、チームメイトで出場できない選手がいるなかで、代表して出場する人間が相応しくない立ち振る舞いをしてしまうことはみんなの気持ちを蔑ろにすることになります。そう考えると責任感が出てきました。責任感は持ちたくて持てるものではないのかもしれませんが、色々なものが見えてくると責任も持てるようになるかもしれないと思いました。苦しい期間ではありましたが、今となれば大事な期間でした。苦しい時こそ自分の心が磨かれると思いました。
Q、野澤選手はいわてから日本代表に選ばれた最初の選手です。チームを背負い、日本代表になった時の心境はいかがでしたか。
A、代表で活動した期間が自分の起点となりました。チーム初の代表選手という嬉しい肩書きでしたが、当時は自分のことで精一杯で周りが見えていませんでした。代表スタッフの浜野征哉ゴールキーパーコーチと話したことで自分の視野が広がりました。いわてを背負って行ったというより、後になっていわてを背負っていたことに気がつきました。代表活動後には怪我をしてしまったのですが、自分のなかで変化があったことで動き始めた感覚がありました。
Q、野澤選手は試合の時に自分にプレッシャーを与えるタイプですか。あるいはワクワクするようなタイプですか。
A、チームにとってゴールキーパーがプレッシャーを抱えたままピッチに立つのか、ワクワクしてピッチに立つのかは大きな違いだと思います。自分の技術というより、試合に出場してチームみんなで勝利をしたいという思いからワクワクしています。
Q、今シーズンから東京に戻ることが決まった時の気持ちを教えてください。
A、東京には恩があり感謝の気持ちでいっぱいです。東京でプレーをしてタイトルを獲りたいとずっと思っていました。いわてに行って自分の人生を振り返ったからこそ、東京が多くのものを自分に与えてくれたことに気がつきました。東京のことが好きなので、声をかけていただいた時は嬉しかったです。
Q、声がかかった時、東京は野澤選手に何を求めていると思いましたか。
A、アカデミー出身者として味の素スタジアムに立つことだと思います。
Q、合流してからのチームの雰囲気はいかがですか。
A、みんなが目の前のことを大事にして試合に臨もうとしています。もっと良くなりたいと思っている選手も多く、みんなが悔いのない日々を送っています。そのようなチームで一緒にプレーができることが自分にとって大きいです。
Q、ヤクブ スウォビィク選手と児玉剛選手の印象、ゴールキーパーチームの雰囲気はいかがですか。
A、児玉選手は前からお世話になっており、相変わらず良くしていただいています。スウォビィク選手ともとても良い関係を築けていますし、彼の試合に臨むメンタリティを尊敬しています。スタッフを含めてゴールキーパー陣は雰囲気が良く、誰が試合に出るのかということに関係なく高みをめざしており、そこに自分が加われていることがありがたいです。
Q、アカデミーからトップチームに昇格した同期のバングーナガンデ佳史扶選手、木村誠二選手は、野澤選手にとってどのような存在ですか。
A、佳史扶選手は心を燃やしながら自分の将来を見据えてやるべきことを明確にしています。木村選手は僕と同じように東京を出て外を見てきた立場です。自分が持っているものを東京のために出そうという強い気持ちが分かります。2人のそんなところを尊敬しています。
Q、2023シーズンのチームとしての目標、個人の目標を教えてください。
A、チームとしても個人としても優勝をめざしています。自分としては明日のことは明日が心配しているから、今を生きなくてはいけないと思っており、目の前の練習を大切にして試合に臨みたいです。最終的に優勝にたどり着きたいと思いますが、取り組む過程が財産だと思っています。結果がついてこなくても、悔いのないように手を抜かずに立派に戦い抜きたいと思っています。
Q、野澤選手の自分の強みやアピールしていきたい点を教えてください。
A、ゴールを守ることでゴールキーパーとしての責任を果たしたいと思っています。試合に出場した時は、全員でゴールを守るためにリーダーシップを発揮したいです。
Q、サッカー選手になって良かったことの質問に「プロになって多くの人に夢と希望を与えられる立場にいること」と答えています。野澤選手は周りの人にどんなことを伝えていきたいですか。
A、自分が与えてもらったものを多くの人に与えたいと思っています。プロサッカー選手が子どもたちや地域の方々にとっていかに特別な存在であるのかを知りました。自分に与えられた立場を理解し、みんなが一緒に喜べる輪を広げていきたいです。
Q、プロサッカー選手を夢見る子どもたちに伝えたいことはありますか。
A、プロになれる選手は一握りですが、憧れてめざすことは当然で、みんなに頑張って欲しいと思っています。僕は人生の中で価値のあるものを大切にしたいと考えており、自分のことで精一杯になることはもったいないと思っています。子どもたちにうまく伝えられるようにこれから時間を割いて考えていきたいと思っています。
Q、今後のリーグ戦、ルヴァンカップに向けてファン・サポーターに向けてコメントをお願いします。
A、今、チームは良くなろう、成長しようと思いながら戦い、監督のめざすスタイルで毎試合勝ちにこだわって戦っています。チームがうまくいかない時の忍耐力は必要ですし、ファン・サポーターのみなさんにも我慢していただくことがあると思います。一日でも早く、観ていて楽しいサッカーやワクワクするサッカー、そして勝利を届けたいと思っています。