東慶悟に、初めてレコーダーを向けたのは10年前になる――。
当時は2012年にロンドン五輪で10番を背負い、準決勝進出に貢献するなど順風満帆だった。
「このまま日本代表にも入って、いずれ海外にも行くのかなって」
そう信じて疑わなかった。大宮アルディージャからFC東京へ、キャリアで2度目の移籍を決断したのはそんな時期だった。
2013シーズンから青赤に袖を通し、これまで多くの話を聞いてきた選手の一人だ。ただし、今では笑い話になっているのだが、初めは警戒心が強く、とかく取材中は声が小さかった。当時は、わざと強がってみせたところもあったのかもしれない。
「メディアも、周りの人も、全てが敵に見えていた。それだけ尖っていたのかもね、そんなことないのに(苦笑)」
だからなのか、大声で冗談を言う今でもどこか当時の繊細な面影が残っている。この10年で、ずいぶんと変わった。それを人は成長と呼ぶのかもしれない。
移籍してきた年の5月に、日本代表にも初選出された。だが、そこでの出場はかなわず、以降は代表とは縁遠いキャリアとなった。
2014シーズン8月にプロ入り後初の長期離脱となる右太ももの筋挫傷を負った。診断結果は全治約6~8週間。予定通り2か月後には復帰を果たしたものの、定位置を奪われたまま残りのシーズンは途中出場を繰り返した。
「初めて、このままじゃダメだと思った」
そうした時に、当時コーチだったブルーノ コンカに「ちょっといい?」と、呼び止められる。
「慶悟は試合中、あんなに頑張るのに、なんで毎日の練習を全力で取り組まないんだ?」
痛いところを突かれ、言葉が詰まった。その日から毎日の過ごし方も変えてみた。
もともと、人に関心を寄せるタイプじゃない。でも、ポケットに突っ込んだ手を出して歩き始めると、景色が変わった。周りは生きた教本にあふれていたのだ。先例をかんがみて、足りないモノ、必要な技術を付け足していく。
翌2016シーズンの沖縄・国頭キャンプだった。「歩きながらでもいい?」と始まった取材で、波の音にも打ち消されない大きな声でその言葉を聞いた。
「見ててよ、オレ毎日全力でサッカーと向き合うから」
あの日の誓いはいまだに続いている。さらに、良き理解者たちとの出会いが、その成長に拍車を掛けていくことになる。
クラモフスキー監督の元での初陣は“恩師”と“戦友”との対戦
2018シーズンに、長谷川健太監督が東京の監督に就任すると、チームの中心に据えられたのが東だった。
派手さはなく、どちらかというと地味に映るが、すこぶるチームメートたちの評価が高い。ミスが少なく、難しいプレーもそつなくこなす。それでいて“全力宣言”以降は練習で一切手を抜かなくなっていた。一緒にボールを蹴ってみないと、その技術と献身性を兼ね備えたプレーの正当な評価はできない選手だ。
審美眼の鋭い指揮官は、それを見逃さなかった。
「慶悟は外から見ているときはもっとわがままな選手かと思っていたけど、決してそうじゃなかった。実際に手元で見てみると、世代別の代表で10番を着けた理由がよく分かる。いい選手だよ」
そう高く評価した長谷川監督就任2シーズン目からはキャプテンと10番を与えられ、初のリーグ制覇へとまい進した。最終節で横浜F・マリノスとの直接対決に敗れて初優勝は逃したが、クラブ史上最高成績となるリーグ2位の好成績を収めた。2021シーズンまで続いた恩師との関係を東はこう振り返る。
「健太さんは、監督としてブレないところがある。それに得点とか目立つプレーだけではなく、数字に映らないところや、献身的なプレーまでよく見てくれる。ミーティングでも度々そういうところを切り取って『こういうところがいい』と評価してくれた。そういう見落としがちな部分も大切にしている監督だった。そうやって一つのチームを作り上げていく力はやっぱりすごいなって、外から見るようになった今あらためて思う」
その指揮官が東と同じく高く評価してきたのが、永井謙佑だった。ディエゴオリベイラとの2トップを『二枚看板』と表し、”健太トーキョー”では攻守の主役を担った。東にとってはロンドン五輪を共に戦い、2017シーズンから2022シーズン夏まで青赤で多くの時間を過ごしてきた仲間でもあった。
「プライベートでも家族同士仲が良かったし、価値観が合う選手だった。お互いが『チームのために』ということをプレーで表現したいタイプだったので、互いにリスペクトし合ってきた」
東が主将としてチームをけん引した3シーズンにわたって、陰日なたとなって支えたのが他ならぬ永井だった。
「謙佑がいれば、チームの雰囲気が良くなる。かといって、媚びるわけじゃない。あいつは違うものは違うという。分かりやすくて、ウソをつけないから……。東京としては、やっぱり残さないといけない選手だったと思う」
そう口にする顔には、どこか寂しさを湛えていた。戦友は昨シーズン夏に長谷川監督を追うように古巣へと復帰し、瞬く間に名古屋グランパスにとって不可欠な存在となった。
「謙佑は今の名古屋の象徴的な存在じゃないですか。あの献身性はチーム内でも評価が高いと思う。周りに気も使えるし、チームのために走れる。二度追い、三度追いを当たり前のようにしてくれる。年間15点、20点とらなくても、アシストでも貢献してくれる。健太さんもそこを分かっているから謙佑を補強したのだと思う」
青赤の10番は「クラブのために、監督のために、ファン・サポーターのために」
良き理解者たちと別れた東にも転機が訪れる。年齢も30を過ぎて過渡期を迎え、2022シーズン序盤は出場機会を失った。「こういう時期は必ず来る。そういう時にどう向き合えるかだと思う」。そう言って歯を食いしばった。
「ただ、続けていけば大丈夫だという自信だけはあった。もちろん辛い時期でもあったけど、オレにはピッチで見せるしかないという答えしかなかった。ただ、どうアプローチすべきかは、めちゃくちゃ考えた」
ピッチでは黙々とやり続けた。ため息をのみ込んで自分の居場所を必死に探した。気づけばポジションは一つ下がり、アンカーとして新境地を開拓していた。
そして、今月13日にアルベル プッチ オルトネダ監督がチームを去り、ピーター クラモフスキー監督のもとで巻き返しを図ることとなった。かつての恩師と戦友のいる名古屋がその初陣の相手となった。今シーズンJ1リーグで優勝争いを演じる難敵だ。自然とモチベーションも上がる。
「3バックというチョイスが面白いと思った。健太さんがこれまで率いてきた、いろんなチームとベースは似ているんだけど、また違った味つけがあって個性が生きている。あの前線の3枚を生かすには3バックが一番生きると思うし、中盤にはヨネ(米本拓司)や稲垣祥がいて、最後尾にはランゲラックがいる。やっぱり強い」
もちろん遠慮なんてしない。「ピッチではバチバチになると思う」と言い、真っ向勝負を挑む。ただし、東は「今はほかにも必要なことがある」と言い、こう続けた。
「ポジションはどこでもいいし、こだわりは正直そこまでない。もちろん先発で出たいけど、途中からでも見せられるモノはきっとあると考えられるようになった。与えられた場所でチームのためにプレーしたい。一番は勝利に向けて、みんなが一つになれるか。だからこそ、直近の(ルヴァンカップグループステージ最終戦の)京都サンガF.C.戦も楽しかった。あの試合は全員が一つになって戦えていた。暫定で指揮を執った安間(貴義)さんのためにという思いはあったけど、クラブのために、監督のために、ファン・サポーターのために……そういう誰かのためにという思いが、いまの東京には必要なのだと思う」
自分のために全力を傾けてきた。そうした日々の先で見つけた答えなのかもしれない。それを教えてくれた人たちが相手だからなおさらだ。青赤の背番号10は泥くさく、仲間のために、チームのために蓄えた力をピッチで解き放つ。
Text by 馬場康平(フリーライター)