「今、来たら使っちゃうよ」
原博実監督(当時)がこの“名言”で口説き落とした石川直宏をはじめ、今野泰幸、加地亮、茂庭照幸といった新鮮な力。ルーカス、ケリー、ジャーンという準ブラジル代表級トリオ。塩田仁史、戸田光洋、阿部吉朗などの有力な大卒選手。J1クラブから移籍してきた即戦力クラスの土肥洋一、金沢浄。東京ガス魂を伝える藤山竜仁、浅利悟。加えてアカデミー卒の新世代である馬場憂太や梶山陽平が台頭、これらの戦力が噛み合い、当時の青赤軍団は我が世の春を謳歌する寸前だった。
2004シーズンにナビスコカップ優勝を果たし、次はリーグ戦だ──と、鼻息を荒くしたのも無理はない。しかし2005シーズン開幕直前の1月、来る新シーズンに向けて生み出された標語『ホップ・ステップ・チャンプ』のとおりにリーグ優勝が果たされることはなかった。
鳴り物入りで獲得したダニーロと新布陣の4-3-3が不発。2005シーズンの順位は2004シーズンの8位を下回る10位に終わり、天皇杯は5回戦、ナビスコカップはグループステージで敗退。成績の上ではさしたる成果を残せないままだった。
勢いに乗ってカップウィナーとなることと、1シーズンを通してリーグ戦で勝点を重ねてシャーレを掲げることとの間には、深くて長い河がある。東京はフットボール界の常識を、身をもって知った。振り返れば、一気にリーグを獲れると高をくくった標語の、いかに恥ずかしかったことか。
でも、それでいい。オレたちにもやれるという尊大な思い込み、つまり青さがなければ、大きな仕事をやってやろうというたくましさを獲得できない。大海で身の程を知った若いクラブである東京は、優勝の可能性がなくなってからは吹っ切れたように戦えていた。
J1リーグ第22節柏レイソル戦で9敗目を喫して15位に沈んだあと、実に12試合を無敗でフィニッシュ。シーズン半ばでやってきたパラグアイの至宝ササ サルセードが勝利や引き分けをもたらすゴールを決めたヴェルディ戦や川崎フロンターレ戦も記憶に新しいが、特に印象深いのは最終節のセレッソ大阪戦だ。
5チームに優勝の可能性が残るなか、2-1と1点リードの状態を維持しさえすればJ1初制覇を果たせる。そんなC大阪の望みを打ち砕いたのは、若き東京を象徴する22歳の今野だった。
終了直前、宮沢正史が放った右コーナーキックからの近藤祐介の右足シュートは相手に阻まれるが、今野は諦めずこぼれてきたボールに対して左足を一閃。ゴールネットに突き刺した。完全敵地の環境で飛び跳ねて喜ぶ“今ちゃん”と東京が、空気を読まないヒールとして歴史に名を残した瞬間だった。
「首位のセレッソには勢いもあったし、3トップも強力だった。だけど自分たちにも力があることを見せたかった。目の前で優勝されたら、一生心に悔いが残ると思っていた」と、今野。栄冠はC大阪のライバルであるガンバ大阪のもとへと転がり込んだ。以来、C大阪がリーグ優勝を果たしたことは一度もない。
前年度のナビスコ初制覇で新しいステップを刻んだものの、原監督は成績不振の責任をとって退任。そんな恩師を送り出す一撃で意地を見せたこの12月3日こそが、現実の厳しさを知った東京が『ホップ・ステップ・チャンプ』を忘却し、あらためて地道に成長を志す起点となる一日だった。
Text by 後藤勝(フリーライター)
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