“王”の旅立ち

COLUMN2024.8.02

“王”の旅立ち

在籍期間はわずか2年半という短さ。だがしかし、高卒で青赤のユニフォームに袖を通した彼の存在感は、間違いなくクラブの歴史に名を残すものだった。

松木玖生、21歳。

若くして東京でキャプテンを務めるまでになった成長、そしてクラブに残した“道筋”とは。

青赤の魂を胸にヨーロッパへ旅立つことが決まった彼の歩みと未来を、日々小平で見守り続けたライターが綴る。

Text by 馬場康平



道を志す者の修行過程を示した『守破離』を地で行く選手だった。

松木玖生は教えを忠実に守り、自分で考え、工夫して自立していった。そして今、さらに独自の世界を確立しようと新たなる旅路へと着いた。

飽くなき向上心を燃やし続けてきた。壁に直面する度に、松木は不思議と笑顔になった。だから、少年漫画の主人公のようなこの台詞が忘れられない。

「困難だとか、難しいと思える瞬間が楽しい」


はね返されるたびに髪をかき上げ、ほほをたたいて気合を入れ直す。そうやって、夢への扉を開けてきた。プロ入り前後で変わったところは「考えてサッカーをすること」だと言っていた。

「加入当初は全然考えないで無心でやってきたけど、先輩たちから話を聞くたびに考えることの重要性を学んだ。考えてサッカーをすることによって、個人でも打開できるようになるところがあった」

プロ1年目のキャンプから違いを見せていた。分からないことがあれば、練習中や練習終わりに先輩やスタッフを捕まえて質問攻めにした。遠慮はかなぐり捨てて「そのぐらいじゃないとやっていけないと思っていた」と振り返る。それはいつしか小平における日常となっていた。髙萩洋次郎も、松木によく呼び止められていた一人だった。

髙萩は2022シーズン夏に活躍の場を求めてJ2リーグの栃木SCへと期限付き移籍し、松木とは半年間しかプレーしていない。だが、そのシーズンの最終節、あいさつもかねて味スタを訪れると、その試合後、おもむろに近づいてきた松木から真っ直ぐな瞳で「オレ、どうでしたか?」という質問を受けた。すでにチームを離れていた髙萩は驚き、「オレに聞くなよと思いましたけどね(苦笑)。上から見ていたのでああじゃない、こうじゃないと話はしましたけど、玖生のそういう向上心はすごいですよね」と、感心したという。

そうやってプロとしての学びを増やし、成長曲線の描き方を覚えていった。だからなのか、松木のプレーには時折、先達たちの香りがするのだ。今シーズンの明治安田J1リーグ第4節アビスパ福岡戦で荒木遼太郎のゴールの起点となった自陣からのロングフィードは、まさに髙萩の十八番と呼べる機知に富んだパスとよく似ていた。


さらに、教えを守りながらも、変えるべきところは率先して行動に移してきたのも松木だった。

「靴ひも、ほどけていますよ」

自分でも気づいていなかったのに、先に松木からそう声を掛けられたのは一度だけではない。相手をよく見ているから、よく気づく。

取材の時もそうだ。目を上にやり、吐き出す言葉を考えてから相手としっかり視線を合わせて会話を交わす。質問をくみ取って期待した以上のコメントを何度も吐き出してくれた。それがクセづいているからパンチラインのようなキラーコメントにこちらが感嘆すると、自然と笑みを浮かべた。

だからこそ、このチームで自分が取るべき役割も率先してやってきた。プロ2年目には「若手を代表する選手として良い手本になるように後輩にも良い背中を見せたい」と言い、こう立場を表明していた。

「若手からどんどん突き上げていきたいという思いがある。自分も若手のリーダーとしてやっていかないといけない」

プロ2年目で、そう責任や自覚を言葉にした松木に後輩たちの話を振ると、おどけて「(後輩は)オレについてこいって感じです」と言ったのも半分冗談で、半分は大まじめだったと思う。上と下をつなぐパイプ役に名乗りを上げ、風通しの良いチームづくりを心掛けてきた。それをキャプテンとなった3年目の今シーズンはさらに加速させた。


「まず一番は楽しかったです。率直にピーター(クラモフスキー監督)からキャプテンをしてほしいと言われた時は、自分がこのチームを引っ張る立場になったと思いました。(小泉)慶くんとモリくん(森重真人)と3人のキャプテンがいましたけど、すごくバランス良くそれぞれが役割を果たせていた。自分が年齢の若い選手を底上げしながらモリくんが上からしっかりと見守って、そのなかで慶くんが色々な選手とコミュニケーションをとってくれてバランスが良かったと思う」

チーム内でのコミュニケーションを活発化させ、ピッチに立つ一人ひとりがキャプテンという自覚を持たせることに力を尽くしてきた。その存在自体が、周りに大きな影響を与えていた。俵積田晃太らがFC東京U-18で3年生の時に、当時のチームを率いた奧原崇監督(現トップチームコーチ)からは「オレの目にはトップチームで一番東京らしい選手は玖生だと映っている。本当はお前たちアカデミーの選手たちがそうならなきゃいけないんじゃないのか」と、いつも鼓舞されていたという。チームのために走り、戦う。先輩からは可愛がられ、後輩たちの良きお手本として松木は信じた道を走り続けてきた。気づけばキャプテンマークがよく似合う選手となっていた。


たくさんの置き土産を青赤に残し、松木は欧州へと羽ばたいていった。夢だったイングランド・プレミアリーグのサウサンプトンFCへと完全移籍し、今シーズンはトルコ1部のギョズテペSKでプレーする。それも必然だったのかもしれない。

松木はこの2年半で海外挑戦を目指して旅立つ選手がいるたびに、「お世話になったから」と、毎回空港へと見送りにやって来ていた。どんなに早朝で、その日に練習があっても、だ。「感謝を忘れない。こういう選手が後に続くんだろうな」と、思わされてきた。

「数多く試合に出させてもらいましたし、多くの経験値をほかの選手よりも積ませてもらったと思います。お手本となる選手がいて、年下でもガツガツ来る選手が出てきたり、自分も負けないように頑張っていきたいです。だから、選手全員に期待しています。寂しさはあるけど、みんなから良い後押しを受けたので、決めた道をしっかりと貫いていきたい」

2年半の道程が、歩んだ道の正しさを示す。叶えたい夢はまだまだある。日本代表選出、さらには日本人初のUEFAチャンピオンズリーグ制覇。何より青赤の歌唄いたちと約束した「FC東京から旅立った選手のなかで一番偉大な選手になりたい」というドデカい夢がある。

「地道にやっていけばきっと叶うと信じている」

その名に「王」が入る玖生が歩む旅路は、ここから長く続いていく。主人公はいつだって最後に笑うために、どんな困難にも力強く一歩を踏み出し続ける。それが僕らの見てきた松木玖生だからだ。