松橋力蔵 新監督インタビュー<br />
「力蔵の哲学」

INTERVIEW2025.1.06

松橋力蔵 新監督インタビュー
「力蔵の哲学」

良いサッカーで勝つ。勝利とゴールからの逆算

いよいよ2025シーズンがスタート。東京は新たなシーズンを松橋力蔵新監督とともに戦うことになった。今回のファーストインタビューは就任の経緯から現役時代の経験、指導者としての矜持、自身の性格、選手との向き合い方から青赤でめざすサッカースタイルまで多岐にわたり、真摯にサッカーと向き合う熱量とその哲学を熱く語ってくれた。味の素スタジアムのお膝元とも言える調布市で生まれた、自然体で人間味溢れる新監督。新チームの始動を目前に控え、“力蔵トーキョー”の未来像が数々のキーワードとともに少しずつ見え始めた。 



調布に生まれて

──まずは監督就任おめでとうございます。どのような思いで決断されましたか。
本当にありがたいお話で、半分は「まさか」という気持ちでした。私は監督としてのキャリアがそれほど長いわけではないですし、実績と言っても、もちろんJ1リーグに昇格したとはいえ、私自身だけではなく一緒に働いたみなさんの力があったわけです。ですから周囲の評価については、自分で思い描くものや監督のキャリアとしての成長速度と照らし合わせると、少しアンバランスのようなものを実際には感じていました。それでも評価してくださって、早いタイミングでお話をいただけたことは非常にうれしかったです。

──ところで松橋監督のお生まれは、味の素スタジアムのある調布市なのだとか。
よく聞かれるのですが、“出生地”が調布市国領で、育ったのは千葉県ですね。

──とはいえ、生まれた場所に監督として戻ってくる。素晴らしいストーリーの始まりのように思います。
そうですね。これは私も“縁”じゃないかと感じています。東京の監督就任が決まったタイミングで母からも連絡がきまして、「ご縁だねえ」と。面白いですよね。何かあるのかな、なんて思ったりもしますし、本当に何か意味のあるものにしたいと思っています。

──そんな地元生まれの監督とともに歩むファン・サポーターのみなさんからは、どう呼んでもらいたいですか。
これというものはありませんけど、「リキさん」と呼んでもらうことが多いですね。選手に言われてうまいなと思ったのが「パワ蔵さん」。「力」だけ英語でした(笑)。横浜F・マリノスで一緒に仕事をさせてもらったことのある仲川輝人選手は、さらに略して「パワさん」と呼んでいました。よく考えますよね(笑)。 


コミュニケーションを大切に

──松橋監督のキャリアを簡単に振り返ると、日産自動車、横浜マリノス(当時)、京都パープルサンガ(当時)、ジヤトコでプレーし、その後は指導者の道を歩まれています。
多くの素晴らしい選手や指導者の方と接することができたのが大きいですね。本当に少しずつですけれども、色々なクラブがチャンスを与えてくれて成長できました。はるかに未完ですけれども、色々な角度からサッカーを見ながら、自分というものが作り上げられてきました。なかでも、横浜FMのアカデミースタッフ時代の経験が大きいですね。指導者の方々、仲間との交流が本当に実になっています。サッカーに真摯に向き合って、選手をどう次のステージに進めていけるかというテーマなど、本当に細かいところを昼夜問わず話し込んできました。指導者の方に限らず、様々なクラブのスタッフのみなさんとの会話や取り組みもそうです。そういった時間が私の土台を作ってくれたと思っています。もちろん、ぶつかることも当然ありました。それも含めて、波のなかで揉まれた感じがとてもある場所でした。

──キャラクターとしては「まじめで熱血漢」と言われています。アルビレックス新潟でJ1リーグ昇格を果たしたシーズン、選手たちがみんな「MVPはリキさん」と真剣に主張していたことが印象的でした。監督の情熱がチームの礎になった何よりの証明だと思います。
情熱は必要ですが、それは方法論ではないとも思っています。私の想いや言葉は本当に考えていること、そのままなんですよ。人としてどうあるかは、物事を進めるうえで大事なことですが、かと言ってそれを“飾り”のようにすると嘘になる。私は私自身であって、そういう部分を見せるために作っているのではなく、分からないものは分からないと言います。教えてほしいことは聞きます。すべてにおいてパーフェクトであるわけはないですし、足りないところを周りの指導者や仲間から教えを請うことは当然です。選手からも教わります。しっかりとコミュニケーションを図っていくのが大事で、でもそれは特別な自分流などではなくて、私自身が選手にしっかりと向き合っていきたいだけなんです。

──その想いを表現する「言葉」がとても印象的です。新潟時代も「目の前の敵が最強の敵」、「理念は変えないけれど手法は変える」など、心に響く言葉をたくさん発信していらっしゃいました。最も印象的だったのが「技術ではがせ」です。相手がハイプレスという力業でつぶしに来た時に、そこから逃げるのではなく、逆にこちらの強みをぶつけて上回って勝とうという前向きで力強いポリシーが示されたと感じました。言葉へのこだわりは強いのではないでしょうか。
読書を含めて色々なものから刺激を受けることで、心に染みついている言葉はあると思っています。良い言葉をメモすることもありましたけど、最近は逆にそういうことを積極的にはしていません。「それって薄っぺらいんじゃないかな」と思い始めたんですよね。自分のなかで大きなインパクトがあって、それが目の前の景色とマッチした時に自分の口から出る言葉こそが、本当に心に染みついているものなのだと思いますから。大事な言葉は心に定着するまで少し置いておいて、必要な時に自然と出てくるものだと思っています。

──まじめで熱血漢。その一方で、選手たちからも軽くいじられるというか、例えば「松橋力蔵、男前!」と選手からもサポーターからも言われるなど、愛されキャラクターのような一面もありますよね。
本当にありがたいですよね。まじめ過ぎるのもどうかなという考えもありますし、そんなに“くそまじめ”というほどでもなくて、適当なところは適当ですよ。なるようにしかならないとはいつもどこかで思っていますし、選手にも「オレは分からないから、お前ら頼む」と言ったこともあります(笑)。全部が全部“堅物”だと、本当に頼れないのではないかとも思いますから。ちょっと奇抜なアイデアも、まじめ過ぎると出てこないでしょうし、力を抜いてリラックスするくらいでいい。自分の感情の良い面も悪い面も分かっていますから、感情の起伏を感じた時には「どんな状況でもニュートラルなところにいよう」、「ちゃんと重心を真ん中に持っていこう」とすごく意識するようにしています。


「良いサッカー」は聞き飽きた

──これまで東京というチーム、クラブをどのようにご覧になっていましたか。
着々とビッグクラブへと大きく成長していると見ていました。東京は日本の首都ですし、本当に大きな街で世界でも誰もが知っています。クラブとしてもそういう「大きなところ」に向かって進んでいると思います。

──監督就任に際して、どんな口説き文句があったのでしょうか。
口説き文句というか、お話をいただいた最初のチームでしたし、なぜ私なのか、ということについても、クラブのビジョンを含めて説明していただきました。

──そのビジョンやプロジェクトはどんなものだったのでしょう。
クラブとしてサッカーのスタイルをどう確立していくかというところで、少しずつ変わってきている流れのなか私が大役をお受けすることになりました。まず現状のチームの良さに自分の持っているものをどう加味していくかを考えていて、私の頭のなかにあるものと合致するところがあると思っています。新潟では丁寧にビルドアップをして、“ボール保持率ナンバーワン”というフレーズが代名詞のように言われましたけれど、そこをめざしているわけではありません。。新潟の選手たちもそれはよく理解してくれていました。だから、「良いサッカーと評価していただけるのはうれしいけれど、それはもう聞き飽きた」と選手たちにも伝えていました。めざしているのは“良いサッカー”ではなく、“良いサッカーで勝つこと”なんだと。だから、当たり前ですけど、勝利から、そしてゴールから逆算しなくてはならない。東京には前線にスピードのある選手が揃っていて、カウンターに限らず、速い攻撃が魅力的です。手数を掛けずに攻撃ができますし、個人ではがせる選手もいる。その特長をどう活かしていくかというだけです。

──その考え方はどう培われたのでしょうか。
この考えは日産時代の選手としてのキャリアが最も影響していると思っています。やみくもにプレーするよりも、ちょっとした遊びというか、技術的なことを先輩たちから求められ、色々な角度から鍛えられました。だから「技術ではがせ」という言葉が出てきたのだと思います。そこにこだわりはありますよね。相手のプレッシャーを受けて、何となくボールを後ろに下げるのではなく、一つ試しながら相手を釣り出して矢印を折ったりすることの積み重ねで多くの得点やチャンスが生まれる。そうなれば、ボールを握ることが大前提になってきますし、それだけではなくて速く攻めることも重要で、そのためにはどう守るのかも重要になります。まずは選手と一緒にやっていって、どうすることがベストなのか、ベターなのかを見極めていきたい。頭でっかちにならないように、先入観は持たないようにしています。

──やはり「技術」が大きなキーワードになりそうですね。日産時代のスーパースターだった木村和司さんから求められたエピソードはよく知られています。
これこそもう、染みついていますよね。和司さんは「サッカーは常に追求じゃ!」と。あの方が言うのだから間違いない。当時の日産はみなさんがそうでしたしね。自分のパスが判断ミスだった時に「そっちじゃねえだろう」じゃなくて、「ああ、そっちね、なるほどね」って言われるんですよ。これは完全に技術不足を鼻で笑われたような感覚になって、心にグサッと刺さるんですよ。でも、そのレベルについていかなければ試合に出られない。だから技術を求めていかなければいけないわけです。それはすごく大事なポイントだと思っています。


──そんな松橋監督のサッカーを理解して楽しむために、ファン・サポーターはどんな視点で見ていけばいいでしょうか。
やはり技術的なところにはこだわっていきます。それにやはり選手が活き活きとプレーして、その能力を余すことなく発揮することを常に求めていきたい。そこは形にカチッとはめていくというよりは、チーム作りを進めながら判断していきたいですね。

──先ほども仲川選手の名前が出ましたが、東京にはこれまでともに仕事をした選手がいますね。
仲川選手、遠藤渓太選手は横浜FMで一緒にリーグ優勝を経験しました。遠藤選手はアカデミー時代から見ていましたし、小泉慶選手は横浜F・マリノスのプライマリー(小学生)とジュニアユースに所属していました。直接は指導しておりませんが、その姿は常に見ていました。最近だと高宇洋選手が新潟で一緒でしたね。

──縁があって彼らと再び一緒に力を合わせていくことは、指導者としての喜びでもあるのではないでしょうか。
本当ですね。ずいぶんと時間は経っていますが、巡り合わせというか、再びの出会いというか、ここでまた会えたのはすごく意味のあることだと思います。これは非常にうれしいですし、意味のあることにしたいと思っています。

──クラブとの打ち合わせで渋谷のMIXIオフィスを訪問されたと聞きました。高層階から東京を一望できたかと思います。
素晴らしい景色で、部屋に入ってすぐに無言で写真を撮りまくってしまいました。普段は基本的に写真を撮るようなタイプじゃないんですけど、本当にすごかったですよね。

──その巨大な街が松橋監督が率いるチームのホームタウンになります。あらためて「東京」について感じることもあったのではないですか。
大変なクラブにきてしまったなと思いましたね(笑)。もちろんそれは冗談ですけど、見渡してみることで東京という都市の偉大さを感じましたし、大きなパワーがある場所だなと。そこであらためて身の引き締まる思いになりました。

──就任発表のリリースでは「スタジアムが熱狂の渦に包み込まれるように」と決意を表現していました。スタジアムとともに、松橋監督が目にした東京の街全体を熱狂させるようなサッカーを期待しています。
それがこのクラブがめざすものですし、多くの方々を本当に巻き込んでいきたい。そのポテンシャルはものすごいわけで、そのための重責を担って、ファン・サポーターのみなさんと一緒に大きな目標に向かって進んでいきたいと思っています。