祖父の教え

INTERVIEW2025.5.16

祖父の教え

波多野豪の人生に寄り添ってきた、短くも温かな言葉がある。気付けば、彼にとってかけがえのない人生訓となっていた。それは、いつも誰かを楽しませようとする、波多野の笑顔の秘密なのかもしれない。

「何事も笑顔で楽しめよ」

毎朝の登校前や大好きなサッカーの練習に出掛ける時、そう呼び掛けられた。声の主は「母子家庭だったので、本当に父親代わりとして僕を育ててくれた」という祖父の和夫さんだった。

「毎日出掛ける前に必ずそう言ってくれた。その言葉を胸に刻みながら日々の練習や生活を過ごしてきた。おじいちゃんには頭が上がらないし、本当に感謝しかない」

これまで苦しい時、辛い時もあった。うまく笑えそうにない時は、ふと頭の中に祖父の言葉が浮かんだ。それは今シーズンもそうだった。


リーグ戦では開幕から長らくベンチを温め続けてきた。ここまではJリーグYBCルヴァンカップに2試合出場したのみ。出番を待ち続ける時間が続いた。その間、チームはリーグ戦8戦未勝利が続いていた。

「ルヴァンのRB大宮アルディージャ戦が終わったあとくらいかな。その1か月、2か月は『自分が出たら勝たせられるのに』と思っていてもピッチに立てないもどかしさがあった。自分がパッと試合に出た時に仕事ができるように、気持ちや準備を意識してきた」

そう口にしたが、気持ちの上がり下がりは「正直あった」という。それでも、祖父の言葉を思い出し、前向きにトレーニングに取り組んだ。

「ピッチに自分が立った時にそんな(下がっている)メンタルではチームを勝たすことはできない。(長友)佑都さんや森重(真人)さん、(東)慶悟さんと話していても『絶対にチャンスは来るから』と言ってくれた。常にポジティブな気持ちでいることを心掛けてきた。FC東京を代表して日本代表に入りたい気持ちは常にある。そこに向けて常に練習してきた。そこへのモチベーションを胸に、耐えてやり続けてきた」


そんな姿を山下渉太ゴールキーパーコーチは傍で見守ってきた。

「(野澤)大志(ブランドン)のサポートをしながら、やるべきことをやり続けてきた。そのなかで練習中には(小林)将天や(後藤)亘に対してアドバイスを送ったり、自分の経験を伝えたり、コミュニケーションもしっかりととってくれていた」

二人は波多野が中学1年生の時に出会い、付き合いは長い。当時の山下コーチは大卒2年目で、FC東京U-15のむさしと深川の両チームでゴールキーパーコーチとして指導者のキャリアを歩み始めたばかりだった。14年前を思い出し、「お母さんがフルパワーで頑張っている姿を豪も常に見てきて、当時からすごく家族を大切にしている選手だと思っていた」と言う。

今シーズンも波多野は努めて明るく振る舞ってきたが、逸る気持ちには理由があった。祖父が体調を崩し、病床に伏していたのだ。波多野は「これは個人的なことでもあるので、話すことじゃないかもしれないですけど」と言いながら、秘めた想いをこう明かした。

「ここ1か月くらい体調が悪いなかで、おじいちゃんにピッチに立つ姿を見せたいという気持ちがあった。だから、どんな時もやり続けることができた」

祖父を勇気づけたい一心で、歯を食いしばってきた。訃報が届いたのは、5月3日のアルビレックス新潟戦当日だった。3-2で勝利を収めた直後に新幹線に飛び乗り、一人帰京した。どんな時も笑顔を絶やさない波多野が急いでミックスゾーンを通った時の表情を僕は表現することができない。

「新潟戦の日に天国に行ってしまった。チームは勝ったけど、何とかピッチに立ちたかったので悔しさのほうが強かった」


期する想いは一層強くなった。山下コーチは「新潟戦前後のウォーミングアップや試合後の姿を見ると、個人的には豪の実力をより引き上げるためにも、大志や若いゴールキーパー陣をもう一つ引き上げるためにも、豪が持っている最大値のパフォーマンスを出せる時を逃しちゃいけないと思っていた」と明かす。

次節に向けたコーチングスタッフのミーティングでそれぞれが意見を持ち寄り、続くヴィッセル神戸戦での波多野の起用が決まったという。

「Jリーグ全体でもロングボールを効果的に使えるトップクラスの選手だと思ってきた。4バックの神戸に対しては有効だったし、クロスボールが多くなるところでも彼の特長やエネルギーを出しやすい相手でもあった」(山下コーチ)

波多野自身は週の半ばのトレーニングで、ホワイトボードに貼られたマグネットの位置がいつもと違うことに気づき、「『もしかしたら』くらいに思っていた」と言う。試合日が近づき、現実味を帯び出す。沸き立つ緊張感のなかで、いつもどおりを心掛けた。


試合当日を迎え、山下コーチからは「任せたぞ」と声を掛けられた。周到な準備は怠らなかった。試合前から仲川輝人には「ゴールキーパーに向かって思い切り蹴るので、途中から出たら狙って走ってください」と話していたという。

開始からシュートストップやクロスボールへの対応で安定感を発揮。落ち着きをもたらすコーチングで、最後尾からチームを下支えした。刻々と時間が過ぎても互いが一歩も譲らず、スコアレスのままタイムアップの笛が吹かれようとしていた。


だが、試合終了間際に劇的な展開が待っていた。

神戸の攻撃がゴールラインを割った瞬間を見逃さなかった。波多野は「ここだ」と素早くリスタートし、前方に勢いよく蹴り込んだボールはグングン伸びて相手ゴール前へと送られる。それを信じて走っていた仲川が受けとり、左足を振る。これは神戸のゴールキーパーに防がれてしまうが、そのこぼれ球を安斎颯馬が拾って右足アウトサイドでゴールへと押し込む。今度は神戸の選手が身体を張ってコーナーキックに逃れられたかに思われた。

しかし、ここでVARのサポートが入り、主審のオンフィールドレビューの末にハンドの判定でペナルティキックを獲得。土壇場で舞い込んだ好機をマルセロ ヒアンがしっかりとゴール左に蹴り込んだ。

リーグ戦で手にした今シーズン初の連勝。波多野は攻守でその立役者となった。決勝ゴールが決まり、ベンチの前では「波多野豪のすごさを見た」と脱帽する野澤と抱擁を交わして喜びを分かち合った。

「大志も、マサやワタルも『ナイス、豪くん!』と言ってくれた。全員で高め合って競争し合って東京のゴールマウスにカギを掛けられれば良い。ゴールキーパーはどっしりとしていなければいけない。みんなで東京のゴールを守っていきたい。僕はいつだって最後に笑って終わりたい。そう思えるように戦い続けたい。そのためにはたとえ指の一本、二本が折れようともゴールを守り続けたい。その想いでやり続けたい、報われるまでは」


長い笛が鳴り響くと、波多野は味の素スタジアムの空を見上げてにっこりと微笑んだ。

「実際にプレーしている姿をスタジアムで見てもらうことは叶わなかった。1試合遅れてしまったけど、きっと天国から見守ってくれていたと思う。本当は目に焼き付けてほしかったけど、そこは僕の実力不足。ここから良い報告をし続けていきたい。この先もずっと見守ってくれていると思うので。そういった姿をこれからも見せ続けていきたい」

昨シーズンの東京復帰を機に結婚を決意し、新たな家族も増えた。プロポーズの言葉は「これからも僕の側で笑っていてください。一生大切にします」だったという。照れくさそうにそう言うと、こう続けた。

「泣くのかなと思っていたけど、隣で妻は笑っていました」

人生の伴侶を迎えた波多野は、「子どもができたらもちろん一緒に入場したいし、一緒にピッチに立てるくらいまで現役を続けたい。これからも東京のために頑張っていきたいし、タイトルも手にしたい。次はそこを奪いにいきます」と、これから守るべきモノをさらに増やしていく決意も示していた。


そして、この神戸戦がリーグ戦では初めて昨年誕生した長男を抱いて入場する試合となった。

「僕にとって家族は大きな存在です。家族がいなければ腐って逃げ出してしまったかもしれない。妻のサポートで、家ではストレスなく過ごせている。食事面でもキャンプから体重を5kg落とせて、身体がより動くようになった。戦わなければいけない理由がある。譲れないところがある。何かのためにという意味では自分のために、チームのために、家族のためにという理由が僕にはある。喜ばせたいと思う人たちのために、僕は戦い続ける。そのために心を強くしていきたい」

その長男がもう少し大きくなったら、出掛ける時はきっとこう声を掛けて送り出すのだろう。

「どんなことも笑顔で楽しめよ」

笑う門には福来る──。祖父の教えは、これからも家訓として笑顔の似合う波多野家の側に寄り添っていく。

 

(文中敬称略)

Text by 馬場康平(フリーライター)