別れの季節がやってきた。昨シーズン途中から指揮を執ったピーター クラモフスキー監督の今シーズン限りでの退任が決まり、青赤と歩んだ1シーズン半の冒険はここで幕を閉じた。ラストマッチとなった明治安田J1リーグ第38節セレッソ大阪戦の監督会見で、こう質問を投げかけた。
「来日してから7年の月日が経ちました。それも、いったんここで幕を閉じます。あらためてこの7年間はどんな時間でしたか」
クラモフスキー監督は「この7年間で、多くのチャプターが存在しました」と言い、こう言葉を紡いだ。
「色々なことがありました。私にとっても、家族にとっても、この7年間で日本を我が家のように感じています。私に関わったすべての人たちに本当に感謝したい。日本の色々な場所で、本当に素晴らしい人たちに出会うことができました。それはフットボール以外の場所で出会った人たちもです。その人たちは私の心に一生残っていくと思います。今まで自分が関わったクラブの人たちに本当に感謝したいと思います」
それを耳にした遠藤洋通訳は隣で声を震わせていた。クラモフスキー監督は横浜F・マリノスで2年間ヘッドコーチを務め、2020シーズンから清水エスパルスで本格的に監督業をスタートさせた。モンテディオ山形の指揮官時代も脇を固め、監督としての5年間を一番近くで寄り添ってきた存在だった。日本で知り合った同学年はコーヒーを片手にサッカー談義を交わし、プライベートな相談もするなど年を重ねるごとに関係を深めてきた。二人は互いに「長年連れ添った夫婦のようだ」と声を揃える。コンビを解消するバディとの別れに「これで(クラモフスキー監督は)オレが泣くと思っていたんです。すみません」と吐き出し、息を整えてすぐに仕事に戻った。
「フットボールのファミリーや、仲間との関係は一生続いていくものだと思います。今、特別な章が閉じようとしています。ただ、また別の場所で続いていくと思います。いつかまた、ここに戻ってきます」
青赤での通算成績はリーグ戦22勝12分け21敗。1試合平均勝ち点1.41の戦績を残した指揮官とは、ここで別の道を歩むこととなった。
ピータートーキョーの18か月間の足跡をたどった。昨夏、成績不振を理由にクラブはアルベル プッチ オルトネダ前監督の解任を決め、火中の栗を拾う形で就任したのが、クラモフスキー監督だった。ハイプレス&ハイラインの好戦的なフットボールを志向し、臨んだ今シーズンは上位進出をめざした。だが、最後まで安定感を欠き、最終的には7位でシーズンを終える。その幕開けで、強調していた言葉があった。
「フィールドには11人のキャプテンが存在する」
そう言って、異なる年代の森重真人、小泉慶、松木玖生をキャプテンに指名した。そのなかでも、プロ3年目の松木に大役を任せたのは「意図的だった」と言い、こう振り返った。
「強いキャラクターがあって、気持ちも強く、もちろん才能もある選手でした。キャプテンとしての責任感を持つことを期待しました。二十歳の選手がキャプテンを務めるのは大きな経験だったと思います。彼は正しい方向に進んでくれたし、できることを証明してくれた。また、周りのキャプテンたちが環境を整えて全員が正しい方向に成長できた。シーズン始めに、11人のキャプテンがフィールドにいると話しました。そうしたチーム全体のメンタリティは向上したと思います。それは今後も継続して成長させなければいけません」
その松木は在籍2シーズン半で夢だった欧州挑戦への支度を調えて旅立っていった。クラモフスキー監督も教え子の背中を押し、「彼のことを誇りに思います」と目を細めた。松木だけでなく、岡哲平、俵積田晃太、土肥幹太、野澤大志ブランドン、野澤零温ら若い選手たちに継続的に出場機会を与えてきた。
「それを迷う指導者もいるかもしれません。私は彼らを信頼しているし、信念を持っている。彼らもふさわしいクオリティを出してくれた。多くの若い選手が出場時間をつかんで、クラブの将来の土台となっていく。多くの選手が私の元でデビューを飾りました。監督としてそういった取り組みができたことを特別に思いますし、彼らがチャンスをつかんでチームに貢献してくれたことを誇りに思っています。将来、このクラブにとって重要な選手になるためには、チャンスを与えなければ可能性すら見えてこない。そこは誇りに思っているところです。また、経験ある選手たちが、多くの若手に彼らが培ってきた経験を分け与えてくれた。そうしたことが基盤となり、このクラブの将来を作っていくのだと思います」
信念を貫いた一方で、松木が去った夏本番に大失速を招いた。7月13日の第23節アルビレックス新潟戦を最後に約2か月間勝利から見放されてしまう。炎天下で一本調子の戦いを続けた結果、6戦未勝利の長いトンネルも経験。柔軟性を欠いたチームは雌伏の時を過ごした。その間、ブーイングを浴びることも少なくなかった。それでも、真っ直ぐな指揮官は「ウソをつく必要はないし、隠れる必要もない。直面した困難を乗り越えていく、その場面、場面でつかみとっていくことが必要です。それに批判は、フットボールにはつきものです」と毎試合後、青赤で埋まったゴール裏の前に立ち続けた。
「私がやるべきことは自分が見えていることに集中することでした。ただ、苦しい時期に選手が団結して前に進むために、必死に試行錯誤した。それは試合に出ていた選手だけではなく、コーチングスタッフも含めた全員の力でした。長いシーズンでは起こりうることですし、自分たちではい上がっていくしかない。どのクラブでも、違う時期にそういったことが起こりえる。今振り返ってみると、夏場は厳しかったが、チームとして学ぶ過程の一つだったと思います」
Baby steps to Giant strides──。
小さな一歩が大きな成長につながると信じ、その手法を曲げなかった。
「そこが自分のやり方だと思っています。良い時も悪い時もあります。それは起こることだと予期していました。そうした経験は、特別なものを作る上では必要なことなんだと分かったはずです。いきなり成功をつかめるものではありません。そのためにハードワークしなければいけないし、難しい時期を乗り越えなければいけない。そして、学ばなければいけない。それがあるからこそ、強くなれる。今シーズンは自分たちで手放してしまった流れもありました。振り返っていくと、チームを成長させていく一部だったと思います。自分たちが夢見たチームに近付くための教訓があったからこそ、学び、立ち上がり、将来を明るくすることができるはずです」
暑さが和らいだ9月以降は5戦負けなしを継続。3連敗を挟んで最終節は今シーズン限りで現役を引退するディエゴ オリヴェイラの花道を飾る勝利を収めた。1年半の物語に終止符が打たれ、「後悔はなかったのか?」と聞くと、晴れやかな表情で「全くない」と即答する。
「成功をカタチづくるには何が必要か分かっているつもりです。ここでの18か月間で、将来の基盤はつくることができたと思っている。ここへやってきた時、二人目の妻とも呼べる親友の遠藤さん(遠藤洋通訳)しか私のことを知らなかった。その場所でこの旅は始まった。でも、ここにいる選手一人ひとりと、クラブに関わる全員で将来をカタチづくることができたと思っています。来た当初はやるべきことが明確にあり、そこからどういう過程を踏んでいくかでした。きっと当初から比べると、100パーセント良くなっている。手にするべきものは、きっとこの先にあります。(18か月で刻んだ)チャプターがなければ成功にはつながらない。私は遠いところからクラブの成功を祈っています。心に青赤を宿しながらね」
常々語ってきた「夢見るチーム」の全貌をまだ見ぬまま、志半ばでチームを去ることとなった。それがどんな姿、カタチだったのか。今となっては誰も分からない。そう伝えると、少し憂いに沈んだ表情で「複雑な質問だね」と笑い、こう続けた。
「我々は夢見るチームをめざして毎日ハードワークしてきた。才能も必要ですし、ハードワークもいる。選手たちの気持ちと、正しい素材もそろわなければいけない。全員が出し尽くした。夢に届くためには過程を踏まなければいけない。夢に届くのはここから先だと思います」
クラブを去った後も、ワーカーホリックな監督業を続けていくつもりだ。ここ7年間で4つのクラブを渡り歩き、酸いも甘いも知った。それでもまだ指導の現場に立ち続けたいという──。
「ハードな仕事を続けてきた原動力は、フットボールへの情熱や愛だと思います。このクラブにいる人たちとともに、日々成長しようと取り組んできました。私自身もそうですし、周りにいる人たちもそうでした。そうした環境を築くことができれば、みんながそれを楽しみながら必死に取り組める。この仕事は自分自身の最大限を出さなければいけない。人の手助けをして彼らの最大限を引き出そうとしてきた。そして何かを達成し、特別なものを築きたいと思ってきました。それができるのも、この仕事なんだと思います。フットボールには他に代え難い感覚が存在し、私はそれを追い求めてきました。とりつかれるようなものがあるのかもしれない。色々な味があるけれど、きっとそれは特別です。一度経験したら、もう一度味わいたくなる。誰かと一緒に達成すると、特別な感情が生まれる。まだこのクラブはJ1リーグ優勝を達成できていない。ただ、そこに続く道を歩んでいると思っています」
監督という職業は、はじまりの瞬間に別れのカウントダウンが同時に始まる。いつかくる別れが今になった。実直な監督は「それがフットボールです」という。
「この素晴らしいフットボールクラブに足を踏み入れたことを栄誉に思っています。どれだけ特別なことなのかを考えると、自分にとっては運が良かった。本当に素晴らしいファン・サポーターがいて、選手たちも特別に感じる存在でした。東京と対戦することを今は考えられない。私はその誇りを持ってここを去ります」
去り際のラストメッセージは、ファン・サポーターへの感謝の想いだった。
「いつも東京を応援していただき、試合の時に特別な雰囲気を作ってくれたことに感謝しています。そこに携われたことは幸せです。フットボールクラブにとって、ファン・サポーターがすべてだと思っています。東京のファン・サポーターは特別です。クラブの将来の成功を願い、彼らと共にこれからはこのクラブを応援していきたい。ここで一緒に過ごした期間は将来をつかむための基盤づくりでした。『さよなら』ではなく、『また会いましょう』です。いつかスタンドで一緒に歌っているかもしれません。ただ、少しの間はそうではないと思います。将来はまだ分かりませんが、またハグをしましょう」
このクラブは今、歴史における過渡期にあるのだろう。過去と、未来が混じり合う『あわい』で、ピーター クラモフスキー監督は大事なことを伝えようとしてきた。
The show goes on──
眠れないほど夢見た街から新たなショーは始まる。別れの先に、出会いの季節はやってくる。
Text by 馬場康平(フリーライター)