2025シーズン新加入選手インタビュー<br />
永野修都選手

INTERVIEW2024.12.20

2025シーズン新加入選手インタビュー
永野修都選手

小学生時代からの青赤育ち。クラブの未来として期待を寄せられるセンターバックがFC東京U-18からトップ昇格を果たした。2024シーズンはU-18所属ながら2種登録され、6月の天皇杯でトップチームデビュー。味の素スタジアムで青赤のユニフォームに袖を通して戦う責任もあらためて強く感じた。トップでは「1年目からスタメンを争う気持ちで臨みたい」と語る永野修都選手。日の丸を着けてアジアから世界への戦いにも挑もうとしている若きディフェンダーに昇格までの歩みと現在の心境を聞いた。



──あらためてトップチーム昇格おめでとうございます。まず吉報を聞いた時の心境を教えてください。
ありがとうございます。率直にとても嬉しかったです。東京というクラブでトップチームに上がることは簡単ではないと思ってきました。これまで本当に夢としてプロになることをめざして頑張ってきたので、本当に嬉しかったです。

──小学生の頃から小平に通っていたんですよね。
小学5年生からFC東京サッカースクールアドバンスクラスの小平コースで、クラブの一員として練習させてもらっていました。本当に長い期間、アカデミーで育ててもらったので、このクラブでプロに上がることができたのは本当に嬉しいです。

──当時から佐藤龍之介選手と同じアドバンスクラスだったんですよね。
そうですね。U-15はむさしと深川に分かれていたのですが、そうやって小学校時代から一緒に練習してきた選手とプロの世界で一緒にサッカーができるのは本当に感慨深いと思います。

──自己紹介も含めて、自分はどんなプレーヤーだと思っていますか。
球際で激しくボールを奪いに行くところが特長で、そこは他の人に負けない武器だと思っています。

──アカデミー時代に関わったスタッフの人たちから話を聞くと、小学生の頃から「守備が好き」と言っていたと聞きました。なかなかそういう選手は少ないので、当時指導した方たちも印象に残っていたそうです。
普通なら攻撃のうまい選手とかに目が行きがちだと思いますが、僕はうまい選手からボールを奪うことが楽しかったんです。自分自身でどうやったらボールを奪えるかを工夫してプレーしてきました。そうやって考えてボールが実際に奪えた瞬間が一番楽しいと思える瞬間でした。

──ボカ ジュニアーズ(アルゼンチン)のジャパンスクールにも通っていたそうですね。
小学3年生くらいから小学校を卒業するまで、ずっとボカのスクールに通っていました。そこでアルゼンチン流の激しいプレーや守備の仕方を色々教わって、そういうところで身に付けた部分も今に活きていると感じています。

──当時、実際にアルゼンチンに行ったという話も聞きました。
小学5年生から6年生に上がる時、実際にボカのプロジェクトでアルゼンチンに行って、現地で同年代のボカの選手やアルゼンチンの他チームの選手たちと一緒にサッカーをする機会に恵まれました。小学生の段階で南米のプレー強度や南米のサッカー環境を実際に肌で感じられたのは、本当に良い経験になりました。ボカのトップチームのスタジアムで試合も観戦できて、サッカーに対する情熱も体感しました。ファン・サポーターや選手全員が一体となって盛り上がっている光景は今でも鮮明に覚えています。

──“ラ ボンボネーラ(ボカ ジュニアーズのホームスタジアム)”を体験したんですか。
本当にすごかったですよ。今でも鮮明に覚えています。ファン・サポーターの人たちがフェンスによじ登っていたり、発煙筒の煙がモクモクしていたり。ボカが3点くらい決めて、冗談抜きでスタジアムが揺れていました。地響きもすごくて、座席の場所に関係なく全員が本気で喜んで熱狂している。全身に鳥肌が立つような感覚になりました。

──その原体験は……すごいですね。
ボカのジャパンスクールからチームとして行くプロジェクトで、環境や安全面も考慮されていて、普段一緒にやっている選手も一緒だったので、親からも「行ってみれば」と言ってもらえたんです。自分が激しいプレーを好きになったのは、アルゼンチンでの貴重な体験から受けた影響も少なからずあるんじゃないかと思っています。ジャパンスクールでは現地のコーチに直接指導していただいたので、日本人とは違う海外の指導者ならではの指導方法だったり、選手自身に熱く語りかけるような指導だったり、ちょっと他とは違っていたかもしれません。それは特別な体験でした。勝負に対する気持ちは練習から教えられていた部分もありましたし、今でも勝負への意識や絶対負けないという部分は常に考えてプレーしています。

──青赤を着た中学、高校の6年間はどんな時間でしたか。
この6年間で、とても成長できたと感じています。小学校の時の自分はそこまで突出した選手ではなかったと思っていますし、FC東京U-15深川も周りにうまい選手がいるなかで自分自身はまったくでした。小学校があまり強いチームではなかったので、深川に入って周りの基準を初めて知りましたし、そこからうまい選手たちに混ざって切磋琢磨しながら上達できたと思っています。

──中学3年間での思い出はありますか。
深川では食事面の大切さなど、プレー以外の部分でも人として鍛えられたと思っています。サッカーにおいて3年生の時には周りをまとめるように意識しましたが、それまでは声を出すことがそこまで得意ではありませんでした。そういったところは太田(匡人)監督からも指摘されて成長できた部分かなと思います。


──FC東京U-18昇格後に印象に残っていることがあれば教えてください。
高校に入ってからは想定以上のことが次々と起こったと思っています。U-18に上がってすぐに試合に出場できて、初めて世代別の代表にも呼んでもらいました。出会いという部分では奧原(崇)さんから学ぶことがとても多くて、周りにはプロで活躍している土肥幹太選手や、俵積田晃太選手、熊田直紀選手(いわきFCへ育成型期限付き移籍中)、東廉太選手(2025シーズンよりギラヴァンツ北九州へ育成型期限付き移籍)と毎日一緒に練習できた経験が自分自身を大きく成長させてくれたと思っています。

──高校1年生の時に、かなり強烈なキャラクターの3年生と一緒にプレーしていたんですね。
そうですね。最初はちょっとビビっているところはありました(苦笑)。でも、一緒に練習したり、試合に出させてもらったりするなかで、周りからも認めてもらえたかなと思います。それに3年生が優しく声を掛けてくれたこともあって、うまく溶け込めたと思います。

──トップチームでめざすべき選手はいますか。
土肥選手は一緒にずっとプレーしていたし、ポジションが近くて、本当に尊敬している先輩です。高校1年生の時は常にプレーを見ていて、吸収できることも多かったです。ちょっとピッチの外では抜けているところはあるんですが(苦笑)。とても優しくて本当に話しやすい先輩でもあったので、すごく感謝しています。

──FC東京U-18では順調に取り組んでいたなかで、昨年は大きな怪我も経験しました。本来なら佐藤選手と一緒に昨夏に昇格してもおかしくない存在だっただけに、悔しさもどこかに抱えていたのではないでしょうか。
正直、高校2年生の1年間は継続的に怪我が続いて、佐藤選手や他の同年代の選手たちに少し後れを取っているとも感じていたので、正直悔しい気持ちが非常にありました。でも、怪我をしたからこそ得られたものもあったと思っています。リハビリ期間中に身体作りにもしっかり取り組めたので、そういった意味では有意義な時間ではあったと思います。

──来シーズンはAFC U-20アジアカップからFIFA U-20ワールドカップという戦いが待っています。その先にはロサンゼルスオリンピックもあります。怪我明けで臨んだ昨年のFIFA U-17ワールドカップで悔しい思いをした一人として、世界にリベンジしたいのではないかと思います。
1年前に自分の人生で一番とも言える悔しい思いをして、またこの舞台に戻ってきたいと心の底から思いました。来シーズンはそのチャンスが再び巡ってきますが、まずはプロの世界でアピールをしないとそこには簡単には辿り着けないので、まずはチームでどれだけアピールできるかにフォーカスしていきたいです。そして五輪世代になるとJ1リーグのトップレベルや海外リーグで活躍している選手じゃないと選ばれない場所になってきます。自分としてはどれだけ早い段階で、東京の中心選手としてプレーできるかに懸かっている。1年目からスタメンを争う気持ちで臨みたいと思います。

──人生で一番とも言える悔しい思いから立ち直れた要因は。
正直、チームメイトの存在が大きかったですね。しばらく落ち込んでいたんですが、冗談半分で励ましてくれたり、落ち込んでいる自分に対して明るい雰囲気で接してくれたことにとても救われたと思っています。

──アカデミー最終学年の今シーズンはトップチームとU-18を行き来する生活が続いていました。そのなかでどんなものを得ましたか。
トップチームへの練習参加はやはり特別なことでした。U-18とは全く違った環境で、レベルの高い選手たちがたくさんいるなかで、1回の練習参加でも得られるものがたくさんありました。そうした時間は貴重でしたし、自分にとって本当に素晴らしい時間になっていました。


──6月に行われた天皇杯2回戦のヴィアティン三重戦でトップデビューも飾りました。ピッチに立った瞬間はどんな気持ちでしたか。
本当に緊張しました。試合に出た時に「これがプロの世界なんだ」という実感も湧きましたが、それと同時に「もっとこのピッチでプレーしたい」という気持ちになったので、もっともっと頑張らなければと思いました。

──味の素スタジアムでのトップチームデビューでした。観客席から見る景色と、ピッチからの景色は全然違いましたか。
プロの一員としてファン・サポーターのみなさんに応援していただける立場で、味の素スタジアムのピッチに立つことには責任が伴うとあらためて思いました。自分がスタジアムの観客席で応援しているときは「絶対に勝ってほしい」という気持ちだったので、青赤のユニフォームを着ている以上は常に全力で戦わなきゃいけないという感情になりましたし、ピッチに立つ責任を痛感しました。

──来シーズンからは森重真人選手や、アカデミーの先輩でもある土肥選手たちとポジションを争っていかなければいけません。その競争に向けてはどんな想いですか。
1年目だからといって消極的に誰かの後ろを追いかけているだけでは試合に絡むことはできないですし、そうやって消極的に過ごしてしまったら、ムダな1年間を過ごしてしまうことになると思っています。歳が離れている先輩相手でも関係なく積極性を出していきたい、監督やスタッフ、周りの選手から認めてもらえるように開幕前から積極的にプレーしたいです。ただ、練習で活躍しても試合に出られなかったり、自分の思いどおりにいかなかったりするのがプロの世界だと思っているので、正直不安な気持ちもありますが、その環境で自分がどれだけできて、出られない時にどれだけ自分自身でその状況を覆せるかはとても楽しみではあります。

──佐藤選手を含めて同学年から4選手がトップチームに昇格しました。今後は大学を経由して再びプロで出会う選手たちもいるはずです。その仲間たちはどんな存在ですか。
今まで一緒にプレーしてきたメンバーがいなければ、今の自分はないと思います。東京で一緒にやってきたメンバーから刺激をお互いに与えたり受けたりしながら切磋琢磨してきました。また一緒にサッカーがしたいですし、いずれこのプロの世界で再会できたらと思います。

──それでは最後にファン・サポーターに向けてメッセージをお願いします。
ファン・サポーターのみなさんから認めてもらえるように、特長である球際の強さやビルドアップのうまさを発揮できるようにしたいと思っています。このチームの中心としてプレーできるようになるためには、努力が大事になってきます。これからプロの世界でしっかり戦っていけるように頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします。



♢永野修都(ながの・しゅうと)プロフィール

生年月日: 2006年4月15日
身長/体重:182cm/77kg
出身:東京都練馬区
経歴:FC東京U-15深川 → FC東京U-18
代表歴: U-16日本代表、U-17日本代表、U-18日本代表


Text by 馬場康平(フリーライター