アカデミー発、明治大学経由、トップチーム行き──。また一人、青赤の血を引く熱き漢が東京に戻ってきた。FC東京U-18時代にトップ昇格を逃しながら、大学で選手としても人間としても大きく成長した常盤亨太選手。アンカータイプからボックストゥボックスで激しく戦うプレーヤーへと進化を遂げ、同じ経歴を辿った安部柊斗先輩を意識しながら、自らのアップデートに取り組んできた。そんな彼が強烈な“東京愛”を胸に挑むプロの世界への意気込みとは。
──まずは、おかえりなさい。
ありがとうございます。
──FC東京U-18から明治大学を経ての加入となります。この4年間で、自分自身どういう変化があったと思いますか。
まずはサッカーの前に人間的な幅の部分で大きく変わったと思います。自分自身はそれまでこだわりが強くて、こうしたいというプレーが特に高校くらいまではありました。ただ、そういった自分一人のプレーではプロには届きませんでした。明治大学に入って周りの話に耳を傾けたり、こだわりを持ったりするなかで、柔軟性を持つことにも取り組んできました。栗田大輔監督(明治大学体育会サッカー部)からどんな状況でもある意味で考え過ぎずに、人の良いところを学ぶことを教わりました。それまでは「自分には無理だ」と一定のところで壁を作ってしまっていた。そうやって決めつけるのではなくて、その壁を取っ払って考えるようにもなりました。「無理じゃない」という考え方を持てるようになったところも成長したと思っています。
──プレー面で成長した部分はどんなところですか。
自分が一番成長できたと感じている部分は、とにかく範囲が広くなったところだと思います。それは動く範囲も、見る範囲もそうです。運動量や球際、切り替えは自分の強みだと考えて入学しましたが、その特長を出せる範囲が狭いところやボックストゥボックスのところは栗田監督からも常に指導をいただきました。攻撃でも守備でも動き回る範囲は強く意識してきました。
──そうした変化のきっかけとなったのは、トップチームへの昇格を逃したことが大きかった。
そうですね。昇格できなかった時に、やっぱり自分は「こういう選手ではないから、こういうプレーは無理」と決めつけていた。そこで昇格できないことになって、色々なプレーをできるようにならなければいけないし、自分の特長ももっと出さなければと考えるに至りました。
──開幕前にトップチームのキャンプに参加したり、小平で練習参加するなかで、自分が変化した部分で通用すると感じたことはありますか。
高校2年生の頃にFC東京U-23でJ3リーグに出場したんですが、当時は一杯一杯で、自分の特長をそこまで出せませんでした。キャンプや練習参加していくなかで明治大学の“ベースの3原則”(運動量、球際、切り替え)はもちろんですけど、それ以外の攻撃面での推進力も通用するなという自信はつかめました。
──東京の中盤は非常に競争が激しいポジションです。別の選択肢を考えたりはしなかったですか。
1年生で試合に出ていない時期からスカウト担当の吉本一謙さんに来ていただいて、自分には他の考えは全くありませんでした。東京で、レベルの高い環境で勝負して、そこで試合に出てこそ、サッカー選手として価値があると考えていたので、他の選択肢はありませんでした。
──プロとしてここから自分のキャリアをどう描いていきたいですか。
大卒はもう若くないと思いますし、即戦力としてとっていただいたと考えています。今のチームはボランチの選手層がとても厚いですし、レベルの高い選手が多いと思っています。ただ、そこに臆することなく、自分の特長を出して開幕スタメンも狙っていきたいですし、チームの中心として東京をリーグ優勝に導けるような選手になっていきたいと思っています。自分はもともと守備的な選手で、球際とか予測とか、セカンドボールを回収したりとか、相手選手からボールを刈りとることが得意な選手だと思っています。アカデミー時代の僕を知っている人からすると、おそらくアンカータイプというイメージがあると思いますけど、ボックストゥボックスで激しく動き回って、守備でも攻撃でも貢献できる選手になりたいです。自分は守備で奪い切るところが攻撃のスタートにもなると思っているので、そこで奪ったら一人剥がしたことにもなります。しっかりと守備で強度を出しつつ、攻撃の推進力もある。守っても試合を決定付けられる守備ができて、点をとって試合も決定付ける選手になりたいなと思っています。少し欲張りですけど。
──それこそ、FC東京U-18時代は声でチームを引っ張ったり、ここぞという場面で得点するような選手でした。アカデミー時代から応援してくれたファン・サポーターのみなさんにまたそういったプレーを見せたいという思いもありますか。
小学校時代のレジスタFCでは、とにかく勝負にこだわって、絶対負けるなと常に言われてきました。もちろんサッカーを楽しもうとする部分はありますけど、プレーする以上は絶対に目の前の相手に負けないという気持ちや、絶対ここで点をとる、ここ一番での意識付けはずっとされてきたのだと思います。それがFC東京U-15深川やFC東京U-18でもうまくマッチしたのかなと。やっぱり勝負強さというか、勝負勘のようなものは持っているのかなと自分でも思っています。アカデミー時代からそういうところは見せられていたと思うので、プロの世界でもできることを証明したいです。
──アカデミーから明治大学という同じ道を辿った先輩の安部柊斗選手(現RWDモレンベーク)にプレースタイルも近いように思います。彼のように東京で活躍して世界に出ていきたいと考えていますか。
そうですね、明治大学に入って栗田監督から「安部ならこうした、安部ならこうだった」とずっと意識付けされてきました。「安部ならこうしていたのに、お前はまだプレーが小さい」と言われたこともあります。ずっと比較されてきたので、やっぱり意識はしています。ただ、自分は自分なので、自分の特長を出しつつ、安部先輩のように東京を代表して世界に行けるような選手になりたいと思っています。
──アカデミー時代に一緒にプレーしていた選手がいることもやりやすさにつながりますか。
そうですね。キャンプに行ってもアカデミー時代に知り合った選手が多くてすぐになじめましたし、コミュニケーションもとりやすかったです。野澤大志ブランドン選手とはFC東京U-18時代に寮の二人部屋で同部屋だったんですよ。あいつはいつもトップチームの練習に出ていて、自分はいつも学校から帰ってきてFC東京U-18の練習に行っていた。常に自分の先を行く存在だったので、絶対に追い付いて追い越したい。自分にとっては非常に大きく大切な存在ですし、そこは意識しています。
──野澤選手がAFCアジアカップ2023の日本代表に選出された時は、思うこともありましたか。
すぐに「おめでとう」と連絡しました。だけど、自分の心では「絶対に負けないぞ」と思っていました。
──FC東京U-15深川で一緒にプレーしていた安斎颯馬選手も一足先にデビューしています。そこはどう見ていましたか。
大学から1年前倒してプロの世界に行きましたけど、そこに焦りはありませんでした。本当にチームの一員になっているというか、出場時間数もチーム内でかなり上のほうだと思うので、本当に刺激になっています。大志もそうですし、すごく活躍しているなかで自分の先を行く存在がたくさんいることはとても刺激的で、自分も絶対にやってやろうという闘志にもつながっています。
──大学経由のアカデミー出身選手がトップチームで苦労していることも分かっていて、自分も出場機会がどうなるか分からない環境に飛び込むことは相当な覚悟もあったと追います。
岡庭愁人さんや寺山翼くんが期限付き移籍をしたり、ベンチにも入れない姿を見てきましたし、そういう可能性が自分に降りかかるかもしれないとは思っています。だけど、出られない時に何をするかは明治大学で学んだことでもありますし、J2リーグ、J3リーグというカテゴリーで試合に出る選択肢もありますが、22歳という年齢でのプロ入りで選手生命はそれほど長くないと思っています。最初からJ1リーグで挑戦して、最後には絶対に勝ちとってやるんだという野心もあります。覚悟を持ちつつ、絶対に自分が成功してやるんだと常に思っています。
──いずれキャプテンマークを巻いてほしい選手が青赤に帰ってきました。変わりゆくチームのなかで、アカデミー出身選手が存在感を放ってほしいという期待も大きいはずです。
FC東京U-15深川で育てられて、FC東京U-18に入って、東京愛とか青赤魂は少なからず他の選手よりも自分は持っていると思っています。今シーズンもリーグ戦で結果が出ていなくて、苦しい状況だと思われているかもしれない。でも、東京なら絶対に頂点をとれるだけの環境や選手、スタッフがそろっていると思います。その頂点に向かって自分が中心となっていけるような存在感を出していきたいと思っています。
──明治大学で同期の熊取谷一星選手や内田陽介選手が、緑色のユニフォームを着ます。対戦することになったら普段以上に燃える試合になるんじゃないですか。
二人ともすごく仲が良いので、「本当に行くの?」って言いましたけど(苦笑)。深川に入った時から緑のものは身に着けてはいけないと思ってきました。奧原崇さんや、太田匡人さんからもそう言われてきました。だから、今でも緑のものを身に着けないですし。普段からそのくらいの気持ちはあるので、絶対に負けるなんてことは考えられないです。絶対勝ってやりたいと思っています。
──トップチームでは奧原さんやアカデミー時代にお世話になった人たちとの再会も楽しみですね。
キャンプや練習参加した時も「まだまだ」って言われました。夏くらいに練習参加した時も「止めて蹴るがどれだけうまくなったか、テストしてやるよ」と言われました。奧原さんは自分のやる気を出させるようにうまく誘導してくれるんです。おそらく期待も含まれていると思うので、その期待に応えて、それ以上の存在になっていけるようにと思っています。
──アカデミーのスタッフに話を聞いていると、本当に愛着や期待を感じます。関わった指導者の皆さんからの期待にどう応えていきたいですか。
手が掛かる分、そうやって見てもらえているのかもしれないです。アカデミーでは本当に好き勝手やってきました。(トップチームに)上がれないことが決まった時も、「だったらもう行かねぇよ」と思ったこともありました。だけど、深川に入っていなかったら今の自分はないですし、U-18時代がなかったらプロになれていないと思うので、その感謝の気持ちを表現していきたいです。それにこの身長ですし、身体的な能力が高くないなかでも、そういう選手が東京のトップチームに入れて活躍できるということを、アカデミーのスタッフだけじゃなく、アカデミーに在籍している選手の希望にもなれると思っています。そうなれるように、ここから努力してアカデミーを代表する選手になりたいです。
──最後にファン・サポーターに向けて一言いただけますか。
FC東京U-15深川時代からそうですが、あそこまでアカデミーの選手を応援してくれるチームは他にないと思っています。そういったところも自分の“東京愛”を大きくさせた一つの要因です。応援してくれた方々の期待に応えたい気持ちもあるので、本当に感謝していますし、もっともっと応援される選手にならなければいけないという覚悟も持っているので、大学での4年間の進化を期待してもらえたらと思っています。
♢常盤亨太(ときわ・きょうた)プロフィール
生年月日: 2002年4月9日
身長/体重:173cm/70kg
出身:東京都葛飾区
経歴:FC東京U-15深川 → FC東京U-18 → 明治大学
Text by 馬場康平(フリーライター)