新たな景色へ

INTERVIEW2025.5.24

新たな景色へ

壁を乗り越えた先に待っていたのは新たな景色だった──。日本サッカー協会は5月23日、6月のFIFAワールドカップ26アジア最終予選に臨む日本代表27名を発表した。そのメンバーリストに俵積田晃太の名前があった。

「憧れの存在」という石川直宏が叶わなかった大舞台をめざし、これまで世代別代表の経験もなかった“無印“のドリブラーがついに日の丸を背負う。それは憧れの大先輩よりも1年早い代表初招集となった。

「まさか選ばれるとは思わなかった。今も口が回らないし、言葉が出てこない。嬉しいけど、メッチャ満足という気持ちではない。ずっとサッカーをやり始めてからの夢だったし、追いかけてきたことだった。ここからワールドカップのメンバーに選ばれるようになっていきたい」


プロ入り後は密かに2024年のパリオリンピック出場を目標にしてきた。ルーキー時代に「世代別の代表には入っていなかったけど、日の丸に興味はあるか」と尋ねたことがあった。すると、俵積田は表情を変え、「あります」と言い切った。ただし、こんな言葉も吐き出していた。

「上のステージを気にするというよりは自分のプレーに集中して、何年後かに成功できていれば『オレ、昔は今みたいにできていなかったな』と思えると思う。だから、今の自分に集中してやっていきたい」

その秘めたる思いは実らなかった。ただ、悔しさを覚えるよりも、先に言葉にしていたとおり自らと向き合う時間に変えたという。


「落ち込んでいる時間はなかったし、常に自分にとって何が足りないのかを考えてきた。今も課題だらけだけど、自分自身としっかり向き合ってここまできた。それが一つ成長につながったと思っている」

そうやって自分に矢印を向けてきたのは大先輩も一緒だった。ズキッとする記憶がよみがえってきた。もう15年も前の話だ。2010年5月10日──。初選出から7年の月日が経とうとしていた、その日、南アフリカ大会のメンバー発表会見が開かれ、石川直宏はテレビの前に座ってメンバーリストを読み上げる岡田武史監督の一挙手一投足に耳目を凝らした。


会見が終わり、長い息を吐き出す。どんな結果も受け入れる覚悟はできていた。結果は落選──。前年にキャリアハイの得点を積み重ねたことで新聞紙面やテレビでも特集が組まれ、代表復帰の待望論が自然と沸き起こった。5年半ぶりの代表復帰を果たし、もっともワールドカップに近付いた瞬間でもあった。だが、逆風吹き荒れる日本代表の“最後の切り札”にはなれなかった。

その夜、ナオの幼なじみも誘って食事に出掛けた。ひっきりなしに掛かってくる電話に「ありがとうございます」と「頑張ります」を繰り返していた。

翌日の小平グランドには、何往復もダッシュを繰り返すナオの姿があった。球のような汗を流す、その身体からは“情けねぇ熱”が放たれていた。

長友佑都はその南アフリカ大会から4大会連続でワールドカップ出場を果たし、来年に迫るワールドカップ北中米大会ではアジア人初の5大会連続出場をめざしている。それだけ、お互い年を重ねたということだ。自らを慕う後輩の初選出を受けて、気付けばナオの携帯電話を鳴らしていた。

「他の選手にないスタイルが一つ突き抜けた。そのうえでの選出だと思う。タワラ本人がその手応えを感じられたことが大きかったんじゃないかな。試行錯誤する気持ちはよく分かる。何をしたらいいのかも分からないなかで、自分で突き抜けようともがいて、光がようやく見え始めた。その光に当たる姿を見てくれている人がいた。得点もそうだけど、今回の代表選出は大きいと思う。一つの成功体験が、また彼を成長させると思う」

自分がキャリア中盤で悩んでいたことをプロ3年目の俵積田が直面していることに「オレがグチャグチャになった時よりずいぶん早い周期で経験している」と、嬉々として話してきた。ナオは「(代表に)入ることはゴールじゃない。きっと通過点に過ぎないことは本人も分かっている」と言い、こう続けた。


「きっとタワラがめざすのは誰かが歩んだ道じゃない。これからも理想を追い掛けていくと思うけど、それは飽くなきモノになる。愚直にもがきながらできる選手だし、一つひとつ目の前のことを乗り越えた先にワールドカップや海外挑戦がある。それもまた彼にとっては通過点。でも、タワラはたった一つのプレーで流れを変えられる。もしかしたら“最後の切り札”って言われるかもね。賢さもあるし、やみくもにプレーしていたオレとは違う。感じたことのない重圧や期待も背負うだろうし、今まで経験したことがないことを味わう。それも経験。伸び伸びプレーする姿も好きだけど、オレはもどかしそうにしているタワラも好きだよ。本人は苦しいだろうけどね(苦笑)」

明るく照らされた未来の入り口に立った後輩の背中を押すのは、ナオだけじゃない。家族や育成に関わった指導者たちもそうだろう。ナオは「もちろんファン・サポーターも」と言って「ワンプレー、ワンプレーをまるで緊張する我が子を見るように見守ると思うよ」と笑った。

俵積田は、あらためてそうした人たちへの感謝の言葉を惜しまなかった。

「家族には一番に報告したいですし、自分だけの力ではここまで来ることはできなかった。今まで指導してくれたスタッフのみなさんのサポートがあったお陰です。先ほど、クラブハウスでお会いできたスタッフもいましたが、あらためて感謝の気持ちを一人ひとりに伝えたいと思っています」

まぶし過ぎて、まだこの道がどこへとつながっているのかは本人でさえも分からないだろう。ただ、足下を照らす光を頼りに、一歩ずつ確実に足を進めていく。そこでは再び壁にぶつかることもあるだろう。


「代表選出ですべてがチャラになったとは思っていない。ああやって苦しみながらということが今シーズンもあった。それはプロをめざす課程でもそうだった。何回もぶち当たってきた。そういう経験があるからこそ、ここに来られた。壁がなかったらプロにもなれていなかっただろうし、成長するうえでは大事なステップだったと思う」

悔しいことも嬉しいこともすべてが糧だ。国を背負った戦いに、初めて身を投じる。「殺伐とした雰囲気を想像している。相手も国を背負っているし、緊張感のある試合は自分にとっても必ずプラスになる」。そう言うと、決意が言葉ににじんだ。

「FC東京を代表していくので、東京の選手はこんなにすごいんだぞと、いろいろな人たちに伝えられるプレーを見せたい」

まずは東京から日本代表の切り札へ。そして、その先へ──。流動自在、21歳のドリブラーの未来はまだまだ際限なく広がっている。


(文中敬称略)

Text by 馬場康平(フリーライター)